丸谷才一 一九八六年 講談社
この随筆集は、去年(おそろしいことに去年であって今年ではない)の11月に、たしか神保町の古本まつりで見つけたものである。
とっくに読んでなきゃいかんのにね、いまごろになって、やっと読んだ、いいんだ、べつに新しいものが出てきて追い抜かれるわけぢゃないから。
初出は「小説現代」の1985年10月号から1986年10月号にかけてだという、ふと、そのころ私は何をしていたんだろうと思ってしまう(遠い目)。
あいかわらず、どっから読んでも(と言いつつ最初から順番どおりに読んでんだけど)おもしろい。
>酒を飲みながら何の話をすればいいかといふことは、男の生き方において非常に大きな問題である。男の値打が全部これで決るとは言へないにしても、これによつてかなり変動することは事実なのだ。(p.96「酒杯の間」)
なんて一文があるけど、なんかそういう感じなのだ、酒飲みながらこんな話を語られたら、酔っ払ってても翌日以降でもおぼえてんだろうなってくらい、おもしろくてたくみな話の集まりっつーか。
夏目漱石の話題で最初の章が始まるんだが、漱石がイギリス留学中に、書籍を買うために節約してて、あまりいい食い物を食べてないことについて、
>わたしに言はせれば、たとえ本を十冊や二十冊、買はなくたつて、それよりはむしろ本式のブリティッシュ・ブレックファストを体験することのほうが、イギリス文学の研究に役立つのである。文明といふ文学の背景を抜きにしていきなり文学を大事にするのは、近代日本の病弊であつた。(p.13「大文学」)
って言ってんのは、これまでの丸谷さんの評論を読んできたなかでも、言いえて妙な説だと感心した。
以下、どうでもいいけど、本書で初めて知ったーって私がよろこんだ知識(?)の例をいくつか。
日本に来た外国人にスシを食べさせる方法。
>スシは概して嫌はれるやうで、これはもちろん生魚に抵抗があるからだ。ところが、日本在住のドイツ人某氏が同国人をスシ屋に案内するときのコツを、樋口さんは紹介してゐる。(略)最初に穴子を握らせる。これは生魚ではないから、お客はかならずおいしいと言つて喜ぶ。次はカヒワレ。(略)次がカツパ巻。これも大丈夫。(略)そこで鉄火巻に移るのだが、生魚の臭ひがしないから彼らは平気で食べる。食べ終つたところで、「これは生魚なんですよ」と説明すると、向うは、生魚といふのは意外においしいものなんだな、とちらりと思ふ。(略)
以下は、マグロの赤身、ハマチの順で、そこまでいけば、あとはなんでも食べるんだという。
谷崎潤一郎の大嫌いなものは、女のヒステリーと地震だったというが、もうひとつあったという話、丸谷さんに教えてくれた説明者は河野多恵子さん。
>その説明によると、谷崎の相撲嫌ひは非常に徹底してゐで、単に自分が嫌ひなだけではなく、同席の者がちよつと相撲のことを話題にしただけでも不機嫌になつたといふ。そして、その不機嫌に気がつかずに話をつづけると、
>「男のきたない臀を見て何がおもしろい!」
>とどなつたさうである。(p.52-53「嫌ひなもの」)
っていうんだけど、そうだよねえ、あのひとは女性が好きだから、ちょっとヘンな趣味なんぢゃないかと思うくらい。
バージェスの『眠ることについて』という本にある目覚まし時計の歴史について。
>中世の僧院では、坊さんたちを起すのは墓掘りの仕事だつた。しかし、墓掘り自身が起きるのはどうしたか。アルフレッド大王が発明したと言はれる特別のロウソク(一時間ごとに刻みがついてゐて、しかもその刻みごとに小さな鈴がつけてある)に火をともした。刻みまで来ると小さな鈴が落ちる。下が金属の板である。そこで墓掘りは一時間ごとに目が覚める、といふ悪質な仕組だつたのである。(p.163-164「目覚まし時計」)
というのは、知っても役に立たないことのようだが、それに続いて、
>あれは気楽さうだけれど、ずいぶんつらい商売だつたのだ。このことを念頭に置いて『ハムレット』を見ると、例の墓掘りが二人出て来るオフィリアの葬式の場面は、いつそう感銘の深いものになるはずだ。(同)
とまで書いてあるところが、見事だと思ってしまう。
コンテンツは以下のとおり。
大文学
外人接待法
最初の言葉
コアラ
立ちて見に来し印南国原
石川半山の人物評
嫌ひなもの
阿部お定
徴兵検査
日系マッカーサー
東京といふ山
誇張論序説
フェリーニの船
酒杯の間
味噌汁考
バイコロジー
戯曲の習作
ホームズ学の諸問題
残念な話
食堂車
漱石の句
目覚まし時計
龍の研究
アヂサヰとドヂヨウとオツトセイ
カラオケ論
歴史の勉強
巡査の役得
ポルノ漢詩
日比翁助
儒教の研究
電柱