丸谷才一 一九七五年 朝日新聞社
また古い文藝時評を出してみたりして。
これはたしか2018年の11月に神保町の古本まつりで手に入れたもの。
最近になって、やっと読んだ、ついつい文藝時評なんてものはむずかしそうに思えて後回しにしてしまう。
でも、読んでみたら、そんなに手ごわいものではなく、それは本格的な評論っていうよりも、新聞連載されていたものでフツーの読者向けだからなんだろう。
朝日新聞に1972年12月から1974年11月まで48回連載したもの。
いただけないのは、目次見たときからアレッて思ったんだけど、各章にタイトルがなくて、「一九七二年十二月」「一九七三年一月」って無味乾燥に月が並んでいるだけってこと。(各月が「上」と「下」になってるんで2年間24か月だけど48回連載分。)
丸谷さんには、おや何のことだろうと思って読みたくなる、シャレたタイトルでもつけてほしかったんだけど。
それはいいとして、なかみは、読んでくと、個々の作品についてっていうより、日本文学全般にかかわるようなことの論点がおもしろい。
たとえば、
>昭和十六年、石坂洋次郎の長篇小説『何処へ』が発表されたとき、伊藤整はまことに優れた批評を書いた。(略)
>伊藤は言ふ。ちようど標準語といふものがあるやうに、今の日本には標準小説とも称すべきものがあつて幅をきかせてゐる。作家はみな、その標準小説を書かなければならないといふ義務ないし恐怖を感じ、標準小説の型に従つて筆をとつてゐる。(略)
>彼は、日本自然主義とか私小説とか、そんな剣呑な言葉はちつとも使はずに、一世を覆つてゐた文学趣味を的確に衝いた。(p.100-101一九七三年九月)
とか、
>正宗白鳥が夏目漱石や横光利一を論じて、趣向があることを咎め立てしたのでも判るやうに、それは私小説と自然主義の厭ふところだつた。おそらくかつての新文学は、硯友社およびそれに先立つ江戸の戯作に激しく反撥するあまり、師匠筋の西欧文学にも趣向が歴然とあることを見落して、つひに、一切の趣向を嫌ふ傾向をわれわれの文学の主張としたのである。(p.123一九七三年十一月)
とかってあたりは、小説家らしき主人公をたてて個的な体験をつづるのこそが純文学で、そうぢゃなくて面白いものは通俗小説だ、って決めつける日本文学界へ警鐘なんぢゃないかと。
小説論だけぢゃなくて、御自身もいままさにやってる批評についても、そのありかたについて厳しかったりして、
>惜しまれてならないのは、彼が一篇の詩、さらには詩の一行に丁寧にこだはる結果だらうか、筆の運びが均質に細かくなりすぎて、われわれの詩の状況についての巨視的な展望が同時にもたらされてゐないことである。この現代詩の鳥瞰図は五万分の一の地図を一ダース並べて出来てゐる。批評家はときとして、もつと大まかに筆を使はなければならないのに。(p.179一九七四年四月)
とか(注:言ってるのは、菅野昭正の『詩の現在』についてのこと)、
>(略)たとへば大岡昇平の『歴史小説の問題』(「文学界」六月号)。これは、主題の性格上ある程度やむを得ぬこととは言へ、あれもこれもと話を欲ばりすぎて評論としての整ひはよくないが、多年の関心に裏づけられた鋭い指摘が随処に見られる好論であつた。(p.185一九七四年五月)
とかって、批評の書き方を批評したりしてる。
さらに、文芸雑誌とかが、評論文をのっけんぢゃなくて、やたら対談とか座談会を用いるのは、
>現代日本の文芸評論には、堅苦しさや重苦しさや鹿爪らしさがどうしてもつきまとふのである。批評家は理屈を言ひ、皮肉り、見えを切り、叱りとばし、罵り、歌ひあげ、とぼけ、開き直り……つまり総じて言へば芸のありつたけを見せてくれる。だがそこでは、何か不自然なもの、構へた感じが、いつも文章にまつはりついてゐて、人間の自由な息づかひが乏しくなりがちなのだ。(p.216一九七四年八月)
というように、批評の書き方が未成熟だからなんぢゃないかと指摘してたりする。
さてさて、むずかしい文学論はおいといて、読んでみたくなってしまった本としては、
>これだけ短くてしかもこれだけ完璧な短編小説は、人並はづれて才能の豊かな作家の長い文学的経歴においても、ごく稀にしか書けないものではなからうか。奇蹟的な傑作である。わたしはただそれだけを言つて、口をつぐむ。(p134-135一九七三年十二月)
と紹介されている、吉行淳之介の『鞄の中身』。
丸谷さんは、ホント、ホメかたじょうずなんだから。
もうひとつは、
>まことによく出来た短篇小説で、これが人生だ、ここには人生のすべてがあるとつい言ひたくなるかもしれない。しかしもちろん違ふ。ここにあるのは、社会にも超越的なものにも視線がゆくことを禁じ、市井の色恋沙汰だけに関心を限定しようとする、ある種の抒情的な文学の型、しかしずいぶん完成された、そして極めて趣味のよい型である。(p.183一九七四年五月)
と「かういふきりりと引き締つた作品の筋を紹介するのは手に余るけれど」なんて言いつつとり上げている、和田芳恵の『接木の台』。
これについては、前回の百目鬼さんの辛口な『現代の作家一〇一人』のなかでも、
>和田芳恵の四冊目の短編小説集「接木の台」が出た。小説技法のうまさ、人生省察の深さ、ともに驚嘆すべき境地に達した作品集である。
なんてホメられてんで、読んでみたくなっている。