薄田泣菫 1998年 岩波文庫版
これを読みたくなったのは、丸谷才一の『快楽としての読書 日本篇』のなかの、「詩人は人生を二度生きる」という章でとりあげられていたからで。
いわく、
>大正文学の特質の一つとして、随筆の繁栄をあげることができる。(略)
>そして随筆の時代としての大正を最もしやれた形で示す本は木下謙次郎の『美味求真』と薄田泣菫の『茶話』である。
というんだが、そのあとに、「たとへば芥川龍之介はその愛読者で、灯ともしごろともなると夕刊の配達を心待ちしたといふ」なんていうもんだから、読まずに日本文学を語ってはいけないような気になってしまった。(語んないけど。ちなみに著者名は「すすきだきゅうきん」読めなかったというか知らなかったし。)
でも、おなじ丸谷才一の『遊び時間』のなかの「薄田泣菫の散文」って短い評論をそれより前に読んでるはずなんだけど、そのときは読書欲の触覚にひっかからなかったんだから私もいいかげんなものだ。
いまそっち読み返してみると、「知的であることと暖い肌合とが一致してゐること」「イメージの使ひ方がじつに巧妙なこと」などと好きな理由をあげて、ある書き出しを三行ほど例として抜き出して、「どうです。非常にしつかりとした、落ちついた、よい散文でせう」などと言っている。
で、今回、古本の文庫を買って、読んでみたんだけど、読み始めてすぐに、なんで俺はこんなおもしろいもん知らずにいままできてしまったんだろう、って思った。
新聞コラムだったっていうから、あーでもないこーでもなーいって適当な埋め草的なものを勝手に想像してたんだが、とんでもない、どれ読んでもきっちりしたおもしろさである。
なかみは、筆者私はこう思った的なエッセイなんかぢゃなくて、古今東西の逸話集というのに近いかとおもう、大正時代にこんなおもろい話集めたひとがいたんだ、すごく意外。
全881篇のうち著者自選の154篇ということで、おもしろいやつばかり選ばれてるとはおもうが、それにしたって間延びするところ何もなし。
いや、これ、ガキのころに出会ってたら、なんべんでも繰り返し読んだと思うな、俺。
すぐ使える話のネタ本みたいなとこあって、最近読んだばっかりだからおぼえてたんだけど、丸谷才一の『女性対男性』のなかの一話で、男性がつかった逸話の「初代大統領ワシントンは肉をナイフで口に運んだ」とか「藤田東湖は好物の刺身を手のひらにのせてペロリと食べた」なんてのは、ここにその元ネタがあったりして。
どれが一番二番とはすぐにはあげられないが、たとえば私の好きな馬の話のなかでは「馬の慈善」ってポーランドの話なんかがいいねえ。
慈悲深い主人のコスチウスコオの命令で、馬丁が隣村まで使いに行かされたので、主人の馬に乗っていくことにした。
ところが街角で、貧乏人をみかけると、馬は歩くのをやめて動かない。
馬の上から財布を出して貧乏人にいくらかやると、馬は納得したようにぽかぽか歩き出す、そんなことを繰り返す。
お話のおしまいは次のとおり、
>馬丁は使先から帰って来ると、いきなり主人の室へ駈込んで来た。
>「旦那、もう貴方様の馬に乗る事だけは御免を蒙りやす。たって乗らなければならないものなら、旦那の財布も一緒にお貸しなすって下さい。
>コスチウスコオが、貧乏人さえ見れば施しをくれてやったのは、別段褒めるほどでもないが、馬が何々伯爵夫人などと一緒に、貧民救助が好きだったのは偉いと言わなければならぬ。馬が華族でなかったのは何よりも残念である。(p.111)
んー、この話の〆ようが、なんとも微妙な余韻のようなものがあっていい。
総じてそうなんだけど、あんまり押しつけがましくないというか、どーだーこれが正しいんだーとか、見たかーここがおもしろいだろー、みたいなものを感じさせない独特の距離感からくだされる視線の一言が読んでて心地いい。
日本の話では、たとえば「梅の下かげ」って出雲松平家の茶道師範の岸玄知の話なんかいい。
玄知が街はずれを歩いていると百姓家に見事な梅の樹をみつけた。
売ってくれというと百姓はずいぶんと高い値段を言ったが、玄知は道具をいくつか売って金をつくって払った。
玄知は毎日のように梅の花の下にやってきて酒など飲んでいるが、いっこうに樹を移して持っていこうとしない。
百姓が訊くと、言知は自分の屋敷は狭いし、いままでどおりここにあればいいから預かっておいてくれという。
梅の実がなったらどうすると訊かれると、玄知は花を見ればいいだけだから実は百姓にやるという。
実がなるから金までもらったが、花を見るだけだったら何度来ても文句は言わない、金は返すと百姓はいう。
>百姓が金を取りに家へ帰ろうとするのを、玄知は遽てて引きとめた。
>「いや、止しにしてくれ。花がお前のものなら、幾ら見たって面白くない。自分のものにして初めて熟々と見ていられるのだから。」
>百姓は自分の知らなかった珍しい嘘でも聞かされたように、胡散そうな表情をして首をふった。(p.134)
ストンとオチをつけるってわけぢゃない終わり方がなんとも品がいいんだ。
どうでもいいけど、読んでくうちに、どの話も短いんだが、書き出しの文がいいなあと思うことが多い。
>むかし、江戸に亀田鵬斎という学者が居た。貧しい学者にしても夏はやはり金持同様に暑かったから、鵬斎はいつも六月になると、ずっとすっ裸で暮していた。(p.27「裸体」)
>独逸の鉄血宰相ビスマルクが、ある時ウィルヘルム老帝の御馳走になった事があった。その折の献立がどんなだったかという事は、他人の食膳にあまり興味を持たない私の知らない事だが、唯一つその時卓子の上に載せられていた酒が、三鞭酒だったのはよく知っている。(p.127「愛国心と胃の腑」)
>天竜寺の峨山和尚が、ある時、食後の腹ごなしに、境内の畔をぶらぶらしていた事があった。池には肥えふとった緋鯉だの、真鯉だのが、面白そうに戯けあって、時々水の上へ躍り上るような事さえあった。(p.137「魚を食う人」)
>遣欧米軍の司令官パアシング将軍が、ある日自分の兵卒の宿舎を巡視に出かけた事があった。多くの兵卒が風琴を鳴らしたり、骨牌を弄ったりしているなかに、たった一人、一番年齢の若そうなのが、人の居ない隅っこで、じっと書物に読み耽っているのが将軍の気についた。(p.154-155「司令官と一兵卒」)
などなど、なんてことないようなんだけど、そのつづきを読んでみたくなるんである。
ふと思ったんだが、なんか「今昔物語」とかそういう系譜につらなるノリなのかもしれない。
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