村上春樹 1989年 文化出版局
やおら村上春樹読みたくなって、もう一丁。
エッセイですね。
「村上朝日堂」ってのは、これより前に週刊朝日かなんかに連載してたエッセイのタイトルなんだが、この本は「ハイファッション」(←私は知らない)に連載されてたんで、朝日は関係ない。けど、まあいいや、そんな感じで、って思う。
私がこの本でいちばん好きなのは、「『うさぎ亭』主人」という一節。
うちの近所に「うさぎ亭」という店があって、そこで食べることのできる昼ごはんのおいしさと、そこの主人は過去が謎に包まれた人であるという話なんだが、これは私生活の描写のふりして、まちがいなく創作なんぢゃないかと私は思う。
ここまで、まんま村上ワールドな舞台と登場人物が、現実にいるとは思えないからである。
>生きているみたいにぴちぴちとしたスパゲティーと歯ごたえのある新鮮なきのこの酢味噌あえで
とか
>この麦飯がざっくりとした肌ざわりの大ぶりの茶わんで出てくると、香ばしい麦のにおいが店じゅうに
とか
>かなり大きめのコロッケが二個盛られて出てくるが、無数のパン粉が外に向けてピッピッとはじけるように粒だち、油がしゅうしゅうと音を立てて内側にしみこんでいくのが目に見える
とかってとこを読むのは私は大好きなんだが、まるで「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」のイタリア料理屋の場面を読むようで、まあ創作だろうと感じてしまうのである。
もうひとつ好きな話は「チャンドラー方式」というやつで、小説を書くときの作法である。
レイモンド・チャンドラーがやったように、一日のうち2時間なら2時間を机の前に座って、たとえ小説が書けないときでもじっとしているという教えである。
>今は一九八三年の春で、僕は三十四歳である。僕は机の前でいつまでもぼんやりしている。本当にそのうちにまた何か書けるようになるのかな、と思う。今は何も書きたくないのだ。どうしてかは知らないけど。
なんていうのを読むと、氏の長編の発表ペースはすごく間隔が長く感じるんだけど、じっと新作を待つという気になれるのである。
やおら村上春樹読みたくなって、もう一丁。
エッセイですね。
「村上朝日堂」ってのは、これより前に週刊朝日かなんかに連載してたエッセイのタイトルなんだが、この本は「ハイファッション」(←私は知らない)に連載されてたんで、朝日は関係ない。けど、まあいいや、そんな感じで、って思う。
私がこの本でいちばん好きなのは、「『うさぎ亭』主人」という一節。
うちの近所に「うさぎ亭」という店があって、そこで食べることのできる昼ごはんのおいしさと、そこの主人は過去が謎に包まれた人であるという話なんだが、これは私生活の描写のふりして、まちがいなく創作なんぢゃないかと私は思う。
ここまで、まんま村上ワールドな舞台と登場人物が、現実にいるとは思えないからである。
>生きているみたいにぴちぴちとしたスパゲティーと歯ごたえのある新鮮なきのこの酢味噌あえで
とか
>この麦飯がざっくりとした肌ざわりの大ぶりの茶わんで出てくると、香ばしい麦のにおいが店じゅうに
とか
>かなり大きめのコロッケが二個盛られて出てくるが、無数のパン粉が外に向けてピッピッとはじけるように粒だち、油がしゅうしゅうと音を立てて内側にしみこんでいくのが目に見える
とかってとこを読むのは私は大好きなんだが、まるで「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」のイタリア料理屋の場面を読むようで、まあ創作だろうと感じてしまうのである。
もうひとつ好きな話は「チャンドラー方式」というやつで、小説を書くときの作法である。
レイモンド・チャンドラーがやったように、一日のうち2時間なら2時間を机の前に座って、たとえ小説が書けないときでもじっとしているという教えである。
>今は一九八三年の春で、僕は三十四歳である。僕は机の前でいつまでもぼんやりしている。本当にそのうちにまた何か書けるようになるのかな、と思う。今は何も書きたくないのだ。どうしてかは知らないけど。
なんていうのを読むと、氏の長編の発表ペースはすごく間隔が長く感じるんだけど、じっと新作を待つという気になれるのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/e2/b49ff99b1be5e161b155e0ada24ba0de.jpg)