谷川俊太郎 平成二十二年 新潮文庫版
ちょっと前に、谷川俊太郎さんが亡くなったってニュースをみた。
詩人として有名なひとなんで、どっかでその詩を目にすることはあったはずだけど、ちゃんと読んだことはないなあ、詩集読むガラぢゃないのよ私。
私がいいなあと思ったのは、矢野顕子さんが歌う『さようなら』って曲があって、その作詞が谷川俊太郎さんだった。
ぼくもういかなきゃなんない
すぐいかなきゃなんない
で始まって、なんだろう、どうしたんだろうと思わされてるうちに、
よるになればほしをみる
ひるはいろんなひととはなしをする
そしてきっといちばんすきなものをみつける
みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる
ってところで、なんかグッと盛り上がる、曲としては静かな調子なんだけど、なんか伝わってくるものある感じで引き込まれる。
この「死ぬまで生きる」ってフレーズがよくて、この歌詞カードのなかでアッコちゃん自身も「俊太郎さん、死ぬまで生きていてくださいね。絶対。」って言ってるんで、私もマネしてときどき使う。
んぢゃ、なんか読んでみなきゃいけないかな、って気になって、かと言って詩を読むのはどうかなって思って、とりあえず中古で手にとったのが、これ。
エッセイ集ということになろうか、単行本は2001年らしい、最初の章では1980年代後半から2001年までにあちこちに書いたものを集めたようだ。
詩を読んでもよくわかんないと思う私だが、詩について谷川さんが、
>詩は思想を伝える道具ではないし、意見を述べる場でもない、またそれはいわゆる自己表現のための手段でもないのです。詩においては言葉は「物」にならなければならないとはよく言われることですが、もしそうであるとすれば、たとえば一個の美しい細工の小箱を前にするときと同じような態度が、読者には必要とされるのではないでしょうか。そこでは言葉は木材のような材質としてとらえられ、それを削り、磨き、美しく組み合わせる技術が詩人に求められる倫理ともいうべきものであり、そこに確固として存在している事実こそが、詩の文体の強さであるはずです。(p.136-137)
っていってるとこは興味深いものあった。なんかインスピレーションめいたものを書きつけてんぢゃないんだ、木工細工なんだ。
という一方で、朗読会のようなイベントの質問コーナーで、
>いつだったかやはり一人の小学生に、「谷川さんはなんでそんなにくだらない詩ばっかり書くんですか?」と問われ、やけになって「詩なんてみんなくだらないものなんだよ」と答えたのを思い出した。(p.159-160)
なんてやりとりをしてるらしい、笑える、面と向かって「くだらない詩」とか言われるとは。
詩にかぎらず言葉ってものについての考察として、レンブラントの自画像を引き合いにだして、その絵は自分で自分をリアルにみつめたものだとして、
>自分という意識なしで、まるで他人を見るように自分を見ている。私もそんなふうに言葉で自分を描けたらと思うが、思うにまかせない。(略)
>(略)詩で自画像を書こうと試みたこともあるが、これもパロディのようなものにしかならなかった。自画像というような主題抜きで書くほうがきっと正直な自分が現れてしまう、それが言葉というものかと思う。(p.51-52)
みたいなこといってるのも、おもしろいと思った。
それはそうと、今回こうやって著者が亡くなったタイミングで読んでたりすると、ご自身の死について語っているところが気になったりする。
2000年ころで70歳ぐらいだろうけど、ひとり暮らしをしてる影響もあるんだろうか、老いとか死とかを考えたりする機会がけっこうあるみたいで。
>過去の自分と出会うのはしかたないにしても、年をとると未来の自分とももうじき出会うんだと覚悟を決めるようになる。つまり老いと死をぬきにしては自分とつきあえない。そろそろ自分とおさらば出来るのがそう悪い気もしないのは、自分に甘い私にも、自分をもてあましているところがなきにしもあらずだったのか。(p.58)
とか、
>死生観の代わりに私がもちたいと願っているのは、死生術もしくは死生技である。何も目新しいものではなく、処世術もしくは格闘技のひとつと思えばいい。要するにどう死んでゆくかという技術のことだ。これがなかなか難しい。人は死の瞬間まで生きねばならないものだから、生のしがらみは最後までついてまわる。しかもその最後の瞬間に至るまでに起こる状況変化は、各人の運命によって千変万化する。なかなか予定というものが立てられない。(p.88)
とか、
>(略)私は年をとるにつれて自分がいいかげんになっていくような気がする。若いころは気になっていたことが気にならなくなった。(略)年とって自分が前よりも自由になったと感じる。(略)
>まあどっちにころんでもたいしたことないやと思えるのは、死が近づいているからだろう。痛い思いをしたり身内や他人を苦しめて死ぬのはいやだが、死ぬこと自体は悪くないと思っている。この世とおさらばするのは寂しいだろうが、死んだら自分がどうなるのかという好奇心もある。未来に何を期待しますかと問われれば、元気に死にたいと答えることにしている。(p.108)
とかって、まだまだ元気だったときに書いたんだろうが、80歳になり90歳になり実際に死が近づいてきたときにどう思ったんだろうって、ちょっと考えさせられる。
あと、死生観とは直接関係ないけど、著者が豊栄市の図書館は市民が集う場所をめざしてるって話を紹介したところで、
>私はこの時代を理解するキーワードのひとつに、「寂しさ」があるのではないかとひそかに思っている。日本人はかつてなかったほどに、一人一人が孤立し始めているのではないか。大家族はもう昔話だし、核家族という言葉さえ聞かれなくなったくらい家族は崩れかかっている。私もその一人だが独居老人が増えているし、結婚を願わない若者も多い。会社もすでに疑似家族としての機能を失いつつあるし、都会では隣近所も見知らぬ人ばかり。私たちは帰属出来る幻の共同体を求めて携帯電話をかけまくり、電子メールで埒もないお喋りに精を出し、ロックコンサートに群がり、居酒屋にたむろし、怪しげな宗教に身を投じる。(略)「和」で生きてきた私たちは、「個」の孤独に耐えられないのだ。(p.221-222)
っていってるのがあって、2000年当時の話なんだが、今もっとそういうの加速してるような気もする。
コンテンツは以下のとおり。
私
ポポー
ゆとり
恋は大袈裟
聞きなれた歌
道なき道
ゆきあたりばったり
葬式考
風景と音楽
昼寝
駐ロバ場
じゃがいもを見るのと同じ目で
春を待つ手紙
自分と出会う
古いラジオの「のすたるぢや」
通信・送金・読書・テレビ、そして仕事
惚けた母からの手紙
単純なこと複雑なこと
内的などもり
とりとめなく
十トントラックが来た
私の死生観
五十年という歳月
私の「ライフ・スタイル」
ひとり暮らしの弁
からだに従う
二〇〇一年一月一日
二十一世紀の最初の一日
ことばめぐり
空
星
朝
花
生
父
母
人
嘘
私
愛
ある日(一九九九年二月~二〇〇一年一月)
ちょっと前に、谷川俊太郎さんが亡くなったってニュースをみた。
詩人として有名なひとなんで、どっかでその詩を目にすることはあったはずだけど、ちゃんと読んだことはないなあ、詩集読むガラぢゃないのよ私。
私がいいなあと思ったのは、矢野顕子さんが歌う『さようなら』って曲があって、その作詞が谷川俊太郎さんだった。
ぼくもういかなきゃなんない
すぐいかなきゃなんない
で始まって、なんだろう、どうしたんだろうと思わされてるうちに、
よるになればほしをみる
ひるはいろんなひととはなしをする
そしてきっといちばんすきなものをみつける
みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる
ってところで、なんかグッと盛り上がる、曲としては静かな調子なんだけど、なんか伝わってくるものある感じで引き込まれる。
この「死ぬまで生きる」ってフレーズがよくて、この歌詞カードのなかでアッコちゃん自身も「俊太郎さん、死ぬまで生きていてくださいね。絶対。」って言ってるんで、私もマネしてときどき使う。
んぢゃ、なんか読んでみなきゃいけないかな、って気になって、かと言って詩を読むのはどうかなって思って、とりあえず中古で手にとったのが、これ。
エッセイ集ということになろうか、単行本は2001年らしい、最初の章では1980年代後半から2001年までにあちこちに書いたものを集めたようだ。
詩を読んでもよくわかんないと思う私だが、詩について谷川さんが、
>詩は思想を伝える道具ではないし、意見を述べる場でもない、またそれはいわゆる自己表現のための手段でもないのです。詩においては言葉は「物」にならなければならないとはよく言われることですが、もしそうであるとすれば、たとえば一個の美しい細工の小箱を前にするときと同じような態度が、読者には必要とされるのではないでしょうか。そこでは言葉は木材のような材質としてとらえられ、それを削り、磨き、美しく組み合わせる技術が詩人に求められる倫理ともいうべきものであり、そこに確固として存在している事実こそが、詩の文体の強さであるはずです。(p.136-137)
っていってるとこは興味深いものあった。なんかインスピレーションめいたものを書きつけてんぢゃないんだ、木工細工なんだ。
という一方で、朗読会のようなイベントの質問コーナーで、
>いつだったかやはり一人の小学生に、「谷川さんはなんでそんなにくだらない詩ばっかり書くんですか?」と問われ、やけになって「詩なんてみんなくだらないものなんだよ」と答えたのを思い出した。(p.159-160)
なんてやりとりをしてるらしい、笑える、面と向かって「くだらない詩」とか言われるとは。
詩にかぎらず言葉ってものについての考察として、レンブラントの自画像を引き合いにだして、その絵は自分で自分をリアルにみつめたものだとして、
>自分という意識なしで、まるで他人を見るように自分を見ている。私もそんなふうに言葉で自分を描けたらと思うが、思うにまかせない。(略)
>(略)詩で自画像を書こうと試みたこともあるが、これもパロディのようなものにしかならなかった。自画像というような主題抜きで書くほうがきっと正直な自分が現れてしまう、それが言葉というものかと思う。(p.51-52)
みたいなこといってるのも、おもしろいと思った。
それはそうと、今回こうやって著者が亡くなったタイミングで読んでたりすると、ご自身の死について語っているところが気になったりする。
2000年ころで70歳ぐらいだろうけど、ひとり暮らしをしてる影響もあるんだろうか、老いとか死とかを考えたりする機会がけっこうあるみたいで。
>過去の自分と出会うのはしかたないにしても、年をとると未来の自分とももうじき出会うんだと覚悟を決めるようになる。つまり老いと死をぬきにしては自分とつきあえない。そろそろ自分とおさらば出来るのがそう悪い気もしないのは、自分に甘い私にも、自分をもてあましているところがなきにしもあらずだったのか。(p.58)
とか、
>死生観の代わりに私がもちたいと願っているのは、死生術もしくは死生技である。何も目新しいものではなく、処世術もしくは格闘技のひとつと思えばいい。要するにどう死んでゆくかという技術のことだ。これがなかなか難しい。人は死の瞬間まで生きねばならないものだから、生のしがらみは最後までついてまわる。しかもその最後の瞬間に至るまでに起こる状況変化は、各人の運命によって千変万化する。なかなか予定というものが立てられない。(p.88)
とか、
>(略)私は年をとるにつれて自分がいいかげんになっていくような気がする。若いころは気になっていたことが気にならなくなった。(略)年とって自分が前よりも自由になったと感じる。(略)
>まあどっちにころんでもたいしたことないやと思えるのは、死が近づいているからだろう。痛い思いをしたり身内や他人を苦しめて死ぬのはいやだが、死ぬこと自体は悪くないと思っている。この世とおさらばするのは寂しいだろうが、死んだら自分がどうなるのかという好奇心もある。未来に何を期待しますかと問われれば、元気に死にたいと答えることにしている。(p.108)
とかって、まだまだ元気だったときに書いたんだろうが、80歳になり90歳になり実際に死が近づいてきたときにどう思ったんだろうって、ちょっと考えさせられる。
あと、死生観とは直接関係ないけど、著者が豊栄市の図書館は市民が集う場所をめざしてるって話を紹介したところで、
>私はこの時代を理解するキーワードのひとつに、「寂しさ」があるのではないかとひそかに思っている。日本人はかつてなかったほどに、一人一人が孤立し始めているのではないか。大家族はもう昔話だし、核家族という言葉さえ聞かれなくなったくらい家族は崩れかかっている。私もその一人だが独居老人が増えているし、結婚を願わない若者も多い。会社もすでに疑似家族としての機能を失いつつあるし、都会では隣近所も見知らぬ人ばかり。私たちは帰属出来る幻の共同体を求めて携帯電話をかけまくり、電子メールで埒もないお喋りに精を出し、ロックコンサートに群がり、居酒屋にたむろし、怪しげな宗教に身を投じる。(略)「和」で生きてきた私たちは、「個」の孤独に耐えられないのだ。(p.221-222)
っていってるのがあって、2000年当時の話なんだが、今もっとそういうの加速してるような気もする。
コンテンツは以下のとおり。
私
ポポー
ゆとり
恋は大袈裟
聞きなれた歌
道なき道
ゆきあたりばったり
葬式考
風景と音楽
昼寝
駐ロバ場
じゃがいもを見るのと同じ目で
春を待つ手紙
自分と出会う
古いラジオの「のすたるぢや」
通信・送金・読書・テレビ、そして仕事
惚けた母からの手紙
単純なこと複雑なこと
内的などもり
とりとめなく
十トントラックが来た
私の死生観
五十年という歳月
私の「ライフ・スタイル」
ひとり暮らしの弁
からだに従う
二〇〇一年一月一日
二十一世紀の最初の一日
ことばめぐり
空
星
朝
花
生
父
母
人
嘘
私
愛
ある日(一九九九年二月~二〇〇一年一月)