穂村弘 平成29年2月 角川文庫版
たしか、同じ著者の『もしもし、運命の人ですか。』と一緒に、ことし2月末くらいに買った、当時新しく出てた文庫、読んだの最近。
歌人の穂村弘さんは、あいかわらず日常のいろんなことをうまいタイミングで処理できなくて困ってます。
街頭でティッシュペーパーを配ってるひとを見ると、自分には必要ないから受け取らないって心に決めるのに、距離が近づいてくるとどうやってかわそうかとドキドキしてしまったり。
渡そうとしてるのを受け取らないのはいけないことなのではないか、とか妙な心配するからプレッシャーを感じる。
>普段ティッシュを配っているひとは、渡される立場になったとき、どうしているのだろう。正解を教えて欲しいものだ。(p.176「配られるマナー」)
だなんて言ってますが。
>もともと内気なわけじゃなくて、波長がズレているこの世界では、うまく生きることができなくて心が削られるから萎縮してしまうのだ。(p.28-29「内気だけが罪」)
とか自己分析していますが、改善はできない、居場所がみつけらんないし、ひとと自然にコミュニケーションできない。
そこを堂々と書いてくれるとこがおもしろいからいいんだけど。
今回いちばんおかしかったのは、
>そんな私がいちばん怖ろしいと思うのは、オーケストラやブラスバンドなどでシンバルを鳴らす係である。ずっと出番がなくて、「ここだ」というところで一回だけジャーンと叩くこともあるらしい。なんという重圧。(p.45「咄嗟のタイミング」)
という一節。ムリだ、ムリでしょ、それは。
だって、音楽どうこうぢゃなくて、いろんなことが難しいと思い詰めてるのは、そういうタイミングをはかる系のことだけぢゃないんだもん。
>特急電車のリクライニング席もそうだ。自分にとって最も快適な背もたれの角度がわからない。ひとつに設定しても、座っているうちにもっといい角度があるように思えてくる。だから乗っている間中、微調整を繰り返してしまう。(p.112「ふわふわ人間」)
とか、相手のいないことでも逡巡しちゃうひとなんだから。
たしか、同じ著者の『もしもし、運命の人ですか。』と一緒に、ことし2月末くらいに買った、当時新しく出てた文庫、読んだの最近。
歌人の穂村弘さんは、あいかわらず日常のいろんなことをうまいタイミングで処理できなくて困ってます。
街頭でティッシュペーパーを配ってるひとを見ると、自分には必要ないから受け取らないって心に決めるのに、距離が近づいてくるとどうやってかわそうかとドキドキしてしまったり。
渡そうとしてるのを受け取らないのはいけないことなのではないか、とか妙な心配するからプレッシャーを感じる。
>普段ティッシュを配っているひとは、渡される立場になったとき、どうしているのだろう。正解を教えて欲しいものだ。(p.176「配られるマナー」)
だなんて言ってますが。
>もともと内気なわけじゃなくて、波長がズレているこの世界では、うまく生きることができなくて心が削られるから萎縮してしまうのだ。(p.28-29「内気だけが罪」)
とか自己分析していますが、改善はできない、居場所がみつけらんないし、ひとと自然にコミュニケーションできない。
そこを堂々と書いてくれるとこがおもしろいからいいんだけど。
今回いちばんおかしかったのは、
>そんな私がいちばん怖ろしいと思うのは、オーケストラやブラスバンドなどでシンバルを鳴らす係である。ずっと出番がなくて、「ここだ」というところで一回だけジャーンと叩くこともあるらしい。なんという重圧。(p.45「咄嗟のタイミング」)
という一節。ムリだ、ムリでしょ、それは。
だって、音楽どうこうぢゃなくて、いろんなことが難しいと思い詰めてるのは、そういうタイミングをはかる系のことだけぢゃないんだもん。
>特急電車のリクライニング席もそうだ。自分にとって最も快適な背もたれの角度がわからない。ひとつに設定しても、座っているうちにもっといい角度があるように思えてくる。だから乗っている間中、微調整を繰り返してしまう。(p.112「ふわふわ人間」)
とか、相手のいないことでも逡巡しちゃうひとなんだから。