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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

死のスカーフ

2017-07-16 18:04:05 | 読んだ本
E・S・ガードナー/宇野利泰訳 1959年 ハヤカワ・ポケット・ミステリ版
例によって飛行機の移動のときなんかに読むと退屈しない、ペリイ・メイスンシリーズ。
1990年の9版を持ってるが、たぶん新刊書店で買ったっぽい、消費税が3%内税っぽく書いてる帯がある。
原題は「THE CASE OF THE MYTHICAL MONKEYS」、伝説上の猿たち、それがどうして「死のスカーフ」という邦題になっちゃうかというと。
犯行現場で犯人の遺留品らしきスカーフが見つかるんだが、それに猿がプリントされてる。
>絹のスカーフで、さるがプリント模様になっているんです。このまえ、ニッポンへいったとき、買ってきたものなんです。さるが三匹、《悪を見ない、悪を聞かない、悪をいわない》―というさる
ということで、所有者いわくアメリカ国内では手に入らない、ニッポンでもお店に一枚しかなかった、同じものはないのでは、って話なんで持ち主は重要参考人になっちゃうだろうというもの。
メイスンの依頼人は、ベストセラー女性作家の秘書の、20代前半でスタイルのいい美人、だから駆け込みで事務所に来ても当然メイスンは面会する。
雇い主の作家に、週末にスキー場のある山のホテルに行って、自分の代わりに映画会社と交渉してこいという命令を受ける。
それはいいけど、夜になるまでホテルにとどまってなくてはいけない、帰り道はふつうの道ぢゃなくて山の中の抜け道を降りてこいとか、なんか細かい指示がいちいちあやしい。
それでも言うとおりのルートを使って夜の山を下ってきたんだけど、折からの悪天候でクルマがぬかるみにはまりこんで動けなくなって、山道を歩いてたどりついた山小屋に助けを求めに行くようなことになる。
で、なんでメイスンのとこに来たかというと、一夜明けるとその小屋のなかで、最初出迎えてくれたのとは違う見知らぬ男が殺されているのを見つけてしまったからで。
依頼人を守るためには何でもするけど、警察への届とかについては法に沿って動くメイスンだから、すぐ殺人課に通報する。
おなじみのトラッグ警部の返答がいい。
>きみはまるで、死体の収集でもやてるみたいだぞ。いつか暇になったら、うちの書類をしらべて、一覧表をつくってみようと思っているんだ。うちであつかった事件のうちで、きみが最初に死体を発見したのが、五十パーセントを超しているとおもうね
まあ、そうでなくてはシリーズはおもしろくない。
かくして、メイスンの依頼人は、山小屋に遭難したなんて嘘ばっかりだろということで被告にされちゃって、予備審問へと持ち込まれる。
無罪を勝ち取るには、最初山小屋にいて彼女を助けた男を見つけ出して証人として呼ぶしかないんだろうけど、そこへ政府機関の人物が現れて、彼は重要な秘密調査をしてるんで公開裁判の場で身元を明かすようなことをされては困る、なんて言いだす異例の展開になる。
ちなみに、問題の三猿のスカーフは、警察が立ち去ったあとの現場を調査したときにメイスンが見つけるんだが、凶器とおぼしきライフルの弾薬箱を包んでる状態だったのに、警察に届けることに忠実なはずのメイスンは、さっさと自分のポケットに入れて持ち去ってしまう。
そこんとこについて、その場に居合わせた探偵を証人として召喚した検察側は、弁護士が証拠を隠匿したと攻めてくるんだが、メイスンは涼しい顔してアッと驚くような斬り返しをみせる。
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灰色の嵐

2017-07-15 18:37:54 | 読んだ本
ロバート・B・パーカー/加賀山卓朗訳 2011年 ハヤカワ・ミステリ文庫版
年明けぐらいに買っておいた文庫、例によって先月下旬の飛行機での移動の時間とかで読んだ、順番に読んでってるスペンサー・シリーズの36作目。
原題は「Rough Weather」、なんで邦題「灰色」になるかっていうと、「灰色の男(グレイ・マン)」が登場するから。
グレイ・マンっていうのは、シリーズ三度目の登場かな、最初のときはスペンサーを銃撃して瀕死の重傷を負わせた、危険な男。
本作でも、灰色のブレザー、灰色のスラックス、ウィンザーカラーでサファイアのカフスボタンのついた灰色のシャツ、サファイアのタイピンで留めた濃い灰色のネクタイ、爪先のとがった黒い靴というカッコで現れる。スペンサーに言わせると「声まで灰色」。
スペンサーの依頼人は、金持ちの婦人、正確にいうと金持ちとの結婚を繰り返すことで金持ちになっている婦人。
「キリンの家族も通り抜けられる玄関」のある大邸宅のある島で、娘の結婚式を挙げるのに、スペンサーを「何かあったときに頼れる人として、いてほしい」というワケわかんない理由で雇いたいという。警備チームは他にたくさんいるのに。
引き受けるときスペンサーは、恋人のスーザンも連れていっていいかと訊いて了承もらう。いっしょにいないと寂しいからだというんだけど、そういう探偵ふつう雇われないよ。
で、雷をともなう暴風雨のなか結婚式が始まるんだけど、そこにグレイ・マンが武装集団を率いてやってきて、邪魔な奴にはかまわず銃撃して、花嫁を誘拐してく。
こういう場合、スペンサーの守るべき優先順位は当然スーザンになるわけで、敵の一人をやっつけて依頼人なんかぢゃなくてスーザンを救出するだけのために現場に戻ったりする。
その場はなんとか危機を脱したんだけど、やっぱ自分がいながら事件を防げなかったことにはこだわるスペンサーは、例によって、もはや誰にも依頼されていないのに、報酬もどこからも出ないのに、事件から手を引かない。
そうするとグレイ・マンが直接やってきて、首を突っ込むなと言ってくる、スーザンもいる目の前で。
「殺したくないのだ」なんて言う、しかたないからスペンサーは「好かれてるようだ」なんて言う。(p.152)
「世界はつまらなくなるだろうな。きみがいなくなると。好敵手。戦う価値のある男」なんてグレイ・マンはスペンサーに言う、手段を選ばないわりには礼儀正しい。
スペンサーの背後を守るために当然のことながら、相棒のホークがやってくる、スペンサーが呼ぶより前に今回は心配したスーザンがホークに電話した。
でもホークは「ほかに理由は?」と問われて、「いまだにこわっぱ(ピカニニー)なんてことばを使う、世界でただひとりの人間を失いたくないからだ」なんて言う、よき友人。
スペンサーの依頼人は何の狙いがあったのか、グレイ・マンは何のために嵐のなか襲撃してきたのか、「スペンサーの万人向け探偵心得第四項によれば、行き詰まって何をすべきかわからないときには、誰かを困らせろ(p.214)」のルールに従って、スペンサーとホークはあちこち突っつきまわる。
いろいろ関係者を困らせたり怒らせたりするものだから、また余計に死体が転がるようなことになるが、やがて意外な形で事件は解決に向かってく。
たまにはバイオレンスから始まるストーリーもいいね。
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ブロードウェイの出来事

2017-07-09 17:44:09 | 読んだ本
デイモン・ラニアン/加島祥造訳 1977年 新書館
やっと手に入れました、ことしの6月に神保町で。
「デイモン・ラニアン作品集2」となってるけど、『野郎どもと女たち』と同様、原作短編集と順番は関係ないらしい。
私は英語なんて読めないんで原文の文体がどんなんだかわかんないけど、この翻訳はけっこう気に入ってる。
「レモン・ドロップ・キッド」The Lemon Drop Kid
>さて、さっきいう八月の午後のことだが、レモン・ドロップ・キッドはこの競馬場で商売の相手を物色していて、それが、どうもうまくいかないところだ。彼の商売というのはお話を聞かせることだがね、そのお話を聞いてくれる客がなかなか見つからないというわけだ。
「三人の賢者」The Three Wise Guys
>というわけで、おれは寒いクリスマス・イヴの日、ダッチマンのおんぼろ車でダッチマンとブロンディ・スワンスンのおともをすることになる。ただし、おれたちのうち一人としてその日がクリスマス・イヴだなんて知ってるものはいないぜ。
「マダム・ラ・ギンプ」Madame La Gimp
>おれはこの光景を見て全く驚く。なぜって、なにしろマダム・ラ・ギンプみたいな婆さんの話に身を入れて聞くような人間はこの世に誰もいやしないのに、ましてその相手の人間が「気取屋」デイヴときてるんだからな。実際このマダム・ラ・ギンプという女はまるで古い干し草袋みたいで、いつも酔払ってるんだ。
「ブロードウェイの出来事」Broadway Incident
>というわけで、こっちは彼の話を聞いてやりながらステーキを食べつづけると、アムブローズはヒルダとの恋でいかに自分が苦しみ悩んでいるか綿々と訴えて、いまにも泣きださんばかりだ。ちょうどその時、燕尾服に蝶ネクタイという素敵ないでたちでこのカナリー・クラブに入ってくるのがブローガン・ウィルミントンという名の男だ。
「ユーモアのセンス」Sense of Humor
>だから「いたずら屋」のジョーが彼に「焼け足」をやる時なんか、おれは困ることをやるもんだと思うわけなんだ。「兇暴」フランキーはジョーのこの行為を自分への侮辱と思うにちがいないし、そのあげくはマンハッタン島の住人すべてに反感を抱くようになるかもしれないからね。
「世界一のお尋ね者」The Hottest Guy in the World
>というわけで、ビッグ・ジュールはどうしても生まれ故郷の町を歩いて、ミス・キティ・クランシーに会いたい、おふくろのとこにもよりたい、だからおれに一緒に来てくれと頼む。おれはビッグ・ジュールと町をぶらつくよりも、もっと楽しいことを五万と考えられるけどね、しかしそう言えば、変にお高くとまってると彼に誤解されるおそれがあるんだ。前にも言ったとおり、ビッグ・ジュールはすぐかっとなるたちの男だからね。
「世界一のタフ・ガイ」Tobias the Terrible
一方、トビアス・ツイーニーはグッド・タイム・チャーリーの酒を二杯飲むだけでぼんやりしちまってて、なにが起こってるのか全然わからないらしい、だから黙ってジョイのピストルを受け取るとズボンの尻のポケットに突っ込む。ところが、これと同時に「馬づら」ハリーも「のろま牛」アンギーも「小男」ミッチーも、他の連中もみんなトビアスのそばによってきて、自分らのピストルを渡すんだ。
「ダンシング・ダンのクリスマス」Dancing Dan's Chiristmas
>酒場では大いに歓迎される。なにしろみんなはチャーリーとおれが、とくにチャーリーが、サンタクロースを同伴してるのを見て、びっくりするんだ。しかしサンタクロースがダンシング・ダンだと気づいたものは誰もいないぜ。
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山の音

2017-07-08 18:03:10 | 読んだ本
川端康成 昭和32年発行・平成22年改版 新潮文庫版
ちょっと前のことだけど、テレビで原節子出演の映画をいくつかまとめてやってて、録画してはヒマなときに観てた。
この女優さんについては、べつに、そんなにルックスが好みとかいうわけではないが、むしろ、ちょっとした「あら」とか「ごきげんよう」とかってセリフの響きがとても心地よくて、けっこう気に入ってる。
そのなかで、『山の音』っていう1954年の映画を観てたら、なんか物語全体にただようようなトーンがとても気になって。
無知なので、後から調べたら、原作は川端康成の小説だという、私はあんまり読んでないんだよね、川端康成って。
気になって、読んでみようと思った。映画みてから小説読もうと思うことは、あまりない、ふだん。
すごいね、文庫買ってみたら、平成28年で101刷だ、読まれている名作なのね。
そのくらいポピュラーなので、いまさらストーリーをここでどうこう言うこともないが。
主人公は、六十歳を過ぎて、ちょっと脳細胞こわれはじめてるらしい、尾形信吾のほうだろうな、その妻で年上の保子とは、まあいい夫婦。
鎌倉の家に同居してて一緒に横須賀線で東京の会社に通ってる、息子の修一にはちょっと問題あり、結婚したばっかなのに堂々と浮気している。
修一の妻が菊子で、これが原節子。
困ったもんで、読んでると映画のイメージが強過ぎて、すぐ原節子の顔が浮かんできちゃう。
信吾の役の山村聡の顔もね、ただし、こちらのほうは私の脳の混線から、ときどき笠智衆になっちゃうんだけど。
そうそう、この初老の主人公が、息子には手を焼くし、やっぱ実の娘より嫁のほうを可愛がるんだ、そこで舅と嫁のかけあいみてると『東京物語』思い出しちゃう、どうしても。
実の娘の房子は、結婚生活うまくいかなくて、幼い二人の娘をつれて、この実家に戻ってきてしまう。
ということで、ひとつ家のなかで、いろいろあるが、修羅場にはならずに静かに次第に深刻にストーリーは進んでく。
文庫の巻末の解説を読むまで知らなかったんだけど、最初からひとつづきの長編として書かれたんぢゃなくて、各章は独立した短編として断続的に発表されたものらしい。よくまとまるねえ、ってノーベル賞作家にはたやすいことか?
章立ては以下のとおり。
・山の音
・蝉の羽
・雲の炎
・栗の実
・島の夢
・冬の桜
・朝の水
・夜の声
・春の鐘
・鳥の家
・都の苑
・傷の後
・雨の中
・蚊の群
・蛇の卵
・秋の魚
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ドキュメント電王戦

2017-07-02 18:08:16 | 読んだ本
副題は「その時、人は何を考えたのか」 2013年 徳間書店
もうひとつあった、コンピュータ将棋もの。
たしか『われ敗れたり』と一緒に中古で買ったんだったか。
最近また読み返してみた。
著者名が、多いよ。巻末には登場するページ順だと思うけど、ずらっと並べられてる。
夢枕獏/勝又清和/羽生善治/川上量生/阿部光瑠/竹内章/宮内悠介/阿久津主税/佐藤慎一/柴田ヨクサル/山本一成/野月浩貴/瀧澤武信/山崎バニラ/船江恒平/貴志祐介/一丸貴則/鈴木大介/塚田泰明/大崎善生/伊藤英紀/木村一基/佐藤大輔/三浦弘行/海堂尊/金子知適/屋敷伸之
で、協力がドワンゴ。
なんでこうなっているかというと、本書は2013年に行われた人間対コンピュータソフトの5対5の団体戦の記録で、当事者である棋士とソフト開発者と解説した棋士といった面々に対談やインタビューで登場してもらって振り返る形式だからってことになる。
私は当時の中継動画は観てないんだけど、まあなんかイベントとしては盛り上がったらしい。
本格的な対抗戦としては初めてなので、ルールなんかも試行錯誤みたいなとこあって、そのへんも総合格闘技の草創期と似てないこともないのかもしれない。
ちなみに前回とりあげた「ponanza」の開発者である山本一成氏は、相手へのソフトの貸し出しについては「勝ちたいので、嫌です」と断ったと扉の紹介文でバラされてますが。
山本氏はコンピュータ将棋をはじめた切っ掛けを訊かれて、
>大学に行く前は、東大に行ったらすごいやつがいるんじゃないかと思っていたんです。ところがいざ入学してみたら自分が想像したほどでもなくて、つまらなくて。(略)(p.101)
と言ってます、言ってみたいですね、そういうこと。
棋士の言葉がおもしろいのは前からわかってたつもりだけど、コンピュータソフト開発者の言うこともけっこう興味深い。
「ボンクラーズ」改め「Puella α」の開発者の伊藤英紀氏は、この先の進む方向を問われて、
>コンピュータ将棋の実力はもう名人のクラスも超えていて、今後、まだまだ強くなっていくと思います。ただ僕自身のことで言うと、「人間に観測できないものは存在しない」と思ってるに近いとこがあるので、そろそろコンピュータ将棋も人間にはわからないところにまできていて、個人的にはミッションコンプリートかな、と。(p.213)
と答えている。うーむ。たしかに意味わかる範囲の強さでないと感想も持てないしなあという気がする。
あと、開発者ぢゃなくて主催者ってことになるけど、ドワンゴの川上会長は、世の中が人間ぢゃなくて機械中心になっていくことについて、
>これはしょうがないことかなと思っていて。たぶんこれは歴史のなかで、人間が直面する運命なんですよね。(p.238)
と言ってますが、人工知能の知性が人類すべての知性の総量を上回ってしまう日、来るんだよなあ。
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