黒田硫黄 1999年 イースト・プレス
前にいしかわじゅんの『秘密の本棚』を読んだときに、漫画評論家的扱いになってるため、どんな漫画が面白いか訊かれることが多くて、「しばらく前は、黒田硫黄が一番面白いと答えていた」という一節があって、とても気になった。
そのホメ方がすごくて、
>黒田硫黄の漫画を読むたび、ぼくは、日本の漫画は豊かだなあと思うのだ。
>黒田硫黄は、大ヒットするタイプでは今のところない。(略)
>驚いたことに、彼の作品は、どれを読んでも面白い、デビューから現在に至るまでの、どの作品を読んでも面白いのだ。(略)
>どう面白いのかというと、読む側の興味を惹くのだ。どんなテーマを扱っても、思わず引き込まれてしまうのだ。(略)
>(略)強引にではなく、するすると引っ張り込み、気がついた時には、もう黒田世界にぼくらは入ってしまっているのだ。
>(略)黒田硫黄の漫画は、表面的には少ない情報量で、多くの情報やイメージが読む側に伝わってくるのだ。(略)
>彼は、たとえば人物を正確に描く能力はそう高くないだろう。対象を正確に写し取るという技術は、おそらく低いだろうと思う、しかし、描くものの本質を見切る力は、群を抜いている。(略)(『秘密の本棚』P.42-44「豊かな日本の漫画」)
という調子であって、こちらとしては読んだことないのが恥ずかしくなってきてしまったので、さっそく探すこととした。
茄子とか天狗の話が有名らしいんだけど、うまく見つけられなかったので、とりあえず手に入りやすかったこの古本を買い求めた。
サブタイトルに「DAIOH:The collection of short stories by KURODA,Iou」とあるように、短編集である。
それもよろしい、はじめて読む漫画家で、いきなり何巻にもわたる長編にあたってみて、合わなかったら悲しいから。
著者あとがきに曰く、「いろいろの寄せ集め」ということだが、まあ短編集なら全部が気に入らなくても何かしら自分にとっておもしろいものあるかもしれない。
デビュー作という「蚊」は、人間の女のカッコした蚊がやってくるという、なにがなんだかって話だが。
「象夏」って、同棲してた男が一切を持って出て行っちゃって、残された女性がアパートの隣の部屋を訪ねると、部屋いっぱいの大きさの象がいた、って話、なんか昔の村上春樹の象系につながる感じする。
若いころに読んでたら、不条理とか、なんのメタファーやらとか、こんな夢を見た的なとか、おもしろがってたのは間違いないと思うけど、どうも最近そういうのが得意ぢゃなくなったのは、こちらの都合ではあるが。
あとがきに「この漫画はバカ丸出しです」とある「THE WORLD CUP 1962」が一読したなかでは気に入りかもしれない。
しょうもない子供の喧嘩の話かと思ってたら、小林少年が何故かロボットに乗り込んだころ、キューバ危機に端を発して世界中が核戦争に巻き込まれるって思わぬ展開をみせる。
この短編集では、作者の象愛もわかるけど、ロボット愛も相当なものだなって印象が残った。
コンテンツは以下のとおり。
西遊記を読む
THE WORLD CUP 1962
象夏
蚊
熊
南天
象の散歩
夜のガレージ
メトロポリス
あさがお
まるいもの
飴屋法水 2007年 文春文庫PLUS版
タイトルの「珍獣」には(ケダモノ)とルビが振られる、「キミはケダモノと暮らせるか?」。
1997年の筑摩書房の単行本は『キミは動物(ケダモノ)と暮らせるか?』だったのを改題。
これは斎藤美奈子さんの書評集で、
>(略)生きたモンスター、すなわち犬猫以外の珍獣の飼い方エッセイである。数ある動物本の中でも、これは出色におもしろい快著である。
と、めずらしくホメられていたので、気になって、先月くらいに古本を買い求めた。
著者は珍獣ショップを経営してたひとで、一番困ってしまう客からの質問は、「これ、なれますか?」だという。
そういうひとは犬とか猫を飼いなさい、そういう目的でつくられて、そういう設定で値段がついてるんだから、というのが結論に近い。
「飼いやすいですか?」も困るという、個体差が大きいんだから、「人間って気が荒いですか?」と訊かれても答えむずかしいのと同じだという。
めずらしい動物の飼い方のマニュアルを提示してんぢゃなくて、基本は野生だった動物と一緒に暮らすってのはどういうことか、そういうものの考え方が本書の言いたいことなんぢゃないかと思う。
まあ、もちろん、
>(略)動きのにぶいムササビなら、けっこう安心して部屋で共存できる。キレイ好きで臭くないし(モモンガは臭い)、体重が少ないため食べる量もフンもそれほど多くはない。なれてしまえば、フトンが大好きなので一緒に寝たりもする。(p.96)
みたいな具体的な飼ってみようか検討に役立ちそうな情報もあるけど。
ただし、これの続きには、
>(略)たとえ齧歯目とて人間に敵意まるだしでかみついてきたら、ムササビほどの大きさなら立派に猛獣となる。指の一本はかみ切られる可能性はあるのだ。そこんとこ、ヨロシクね。(p.97)
みたいな注意書きもあるので、やっぱ動物と一緒に暮らす危険性を忘れるなとは言ってくれてる。
ちなみに、「問題児」で「ペットショップでの返品の王者」は、アライグマだという。
顔がかわいいし、手が器用で何でも手をのばして遊びたがるんで、飼いたいという人が多いけど、部屋中で大暴れするわ、飼い主を咬んで大ケガさせるわで、たいへんらしい。
なお、アライグマにかぎらず総論のレクチャーのとこで、ショップへの返品ということについて著者は、
>飼えなくなったという理由で店にひきとってほしいという飼い主に、普段は言いづらくて言えないことを言ってしまおう。飼えないというなら、殺せ。自分の持ちもんにしたんだろう、なら自分の手で殺せ。自分じゃ見捨てといてカワイソウだなんて、そんなウソをつくなー!!(p.63)
と厳しく言っている。
ショップの店先では仮の姿として商品あつかいになってるが、つれて帰ったら「ただの動物」なんで、ちゃんと動物と向き合えと。
動物を飼うってことについて、
>(略)身もフタもないことを言ってしまうが、動物飼育ってのは、別にそんなに楽しくないのである。飼っていても、毎日は極めて単調な日々なのだ。(略)メシ食って寝るだけなのだ。(略)
>(略)飼ってたからといってメリットなんか一つもない。(略)ただただ生きてる、ということに愛情を持てるかどうか。その動物を飼ってて楽しいかどうかはそれで決まる。(p.61-62)
って考え方が基本だってのが、著者の言いたいことのひとつなんぢゃないかと思う。
飼ってる動物をかまったり、こっちの思うとき遊ぼうとしたりするのも、野生動物はそんなに甘くない、動物はイヤなら逃げるもんだという。
著者はムササビを飼っていて、とても慣れているが、ムササビは好きな時に寝て起きて、ムササビが遊びたくなると寄ってくるが、どっか行っちゃってるときは人間が追っかけることはしないという。
>無視してやるのも大事で、上手に無視のできる人の方が動物は安心する。僕はしつけもいっさいしない。向こうの自分勝手さを全部のんでやることにしている。(略)
>しつけをしたり、しかったりすることが必要なのは、そういう関係自体を向こうも必要としている社会性を持った動物の場合と、親がわりの役割をしている期間だけで、相手がすでにいっぱしの大人なら、もう、ほっとくしかない。(p.115-116)
というシツケ論、なかなか興味深い。
私がいちばん親しんだ動物は馬なんだけど(もちろん自分で飼ってたわけぢゃないが)、しつけは重要といわれた、それは社会性っていうよりも、仕事上のパートナーなんで、なんというか守られるべき規律であって、「人がボス」なんである。
リスの飼い方の項でも、飼う人はみんなリスを抱っこしたり頭なでたりしたがるようだけど、リスは体を人の手でつかまれるのは本質的にキライだと説く。
>なんで抱っこできないとなれてないと思うのだろう。たとえばもう五年以上も一緒に暮らして気心もしれ、気もつかわず、目の前でオナラできたりするようなパートナーを、そんなに抱きしめたり頭なでたりしないでしょうが。なれるってのはそういうことです。かけひきや、さぐりあいの緊張関係がなるなるということ。自分のすべてをさらけ出しても、一緒にいられて、けっこうたのしい……そういう相手がいるだけでもう充分でしょうが。(p.85)
というあたりが、「なれる」ってことの本当のところだってことを理解したうえで飼いなさい、って秀逸な意見だと思う。
そんなんぢゃヤだってひとは、犬を飼いなさい、ってか。
コンテンツは以下のとおり。
第一章 レクチャー 珍獣初心者のあなたへ
レクチャー開始 珍獣とは何か
レクチャー2 動物を買うとは?
レクチャー3 動物の選び方
第二章 動物の飼い方
齧歯目とウサギ目
ネズミの巻
砂漠型のネズミ
砂漠型以外のネズミ
テンジクネズミの巻
リスの巻
ウサギの巻
齧歯目番外篇の巻
サルの仲間[霊長目]
サルはボンボン生まれない
類人猿や真猿はむずかしい?
原猿は夜行性、昼行性に分けられる
野生動物のなれ方
食肉目
ネコ科の巻
イタチ科の巻
イヌ科の巻
アライグマ科の巻
ジャコウネコ科の巻
有袋目 カンガルーたちの驚くべき事実
食虫目・その他
食虫目の巻
翼手目の巻
有鱗目の巻
貧歯目の巻
単孔目の巻
第三章 畜生とケダモノの日々
店の名前は動物堂
ドングリとチャコちゃん
台湾からのFAX
擬人化のすすめ
エコロジーって何?
僕らのダッチライフ
布袋寅泰 1991年 東芝EMI
こないだ今井美樹の『PRIDE』を聴いたりしたんで、せっかくだから布袋さんの他のなにかを探してみることにした。
1stの『GUITARHYTHM』が見当たらないんだが、おそらくレンタルで済ましていた時代と思われる。
でもセカンドの2枚組アルバムは持ってた、おこづかいに余裕ができたんだろう。
ひさしぶりに聴いてみたが、あー、一時期よく聴いてたな、これ、と思い出す、どの曲も、あったあった、って感じでよく聴いた記憶がある。
最初のソロアルバムでは全部英語で(ドイツ語もあったか)歌ってたが、これはふつうに日本語で、それでいいんぢゃないのという気もする。
まあ、ほんと、日本のロックンロールって感じで、布袋さんのなんかの曲(「さらば青春の光」?)を加山雄三が気に入ってた記憶があるんだが、たしかに昭和の日本人にも歌いやすそうという意味では歌謡曲につながる伝統的なもん感じる。
(私見では、古い日本人に歌いやすいというのは、音楽の切れ目と詞コトバの切れ目が一致しているのをいう、桑田佳祐とか宇多田ヒカルとかはそうぢゃないという点では日本音楽のなかでは画期的なんぢゃないかと。)
そういう定番的にいいって曲は、「BEAT EMOTION」とか「RADIO! RADIO! RADIO!」とかなんだが。
やっぱ当時からいちばん好きなのは「YOU」ってことで、いまも変わらない。 逢わなくなってもう2カ月だね。
とか
電話で喧嘩ももうできないんだね。
で入ってって、最後に
たとえばこのまま逢えなくなったとしたら きっと君の様な、君を探す。
ってグーっと盛り上がってく感じがいいっす。
あと、いま聞き直すまでタイトル忘れてたけど「LIBIDO」がけっこう好きで、 Break down 扉を開くならダンス Ah!
とかってとこもいいんだが、なにげで
〈Lazy Days〉
とか
〈Crazy Life〉
とかってコーラスんとことか好きなんである。
あと、ラストの「STAR MAN」、デヴィッド・ボウイの曲だけど、好きですね。
これはライブアルバムのほう聴いて強く印象に残ったはずなんだ、たしか。
DISD I
1.GUITARHYTHM REPRISE
2.BEAT EMOTION
3.PRISONER
4.SLOW MOTION
5.SPHINX
6.MERMAID'S DREAM
7.PARADISE
8.DEVIL'S SUGAR
9.DRIVEN' TO YOUR HEART TONIGHT
10.ANGEL WALTZ
11.YOU
12.GUITAR LOVES YOU
DISC II
1.ROCK'N' ROSE
2.MAN+WOMAN IN LOVE
3.LIBIDO
4.FLY INTO YOUR DREAM
5.WONDERLAND
6.METROPOLIS
7.MERRY-GO-ROUND
8.TELEPHONE CALL
9.RADIO! RADIO! RADIO!
10.NOT FOR SALE
11.CITY LIGHTS
12.STARMAN
↑中華ドンブリみたいな文様は布袋さんのギターを思い出させる。
この2枚、なぜか豪華っぽい箱に入ってたりする。↓
諸星大二郎 2021年7月 集英社文庫〈コミック版〉
最近になって書店で見かけて買った、新しい文庫。
「妖怪ハンター 稗田の生徒たち」シリーズ。
最初、なーんだ、また焼き直し文庫版かあ、とか思ったんだが、「コミックス未収録作品」の帯の文字みてビックリ。
2014年のコミックス『夢見村にて』には入っていなかった「美加と境界の神」という作品が加わっての全三編収録。
そら、もう読むしかないでしょ、って買って、さっそく読んだ。
巻末の初出一覧によれば、「美加と境界の神」は他二作品よりも前の、2009年ウルトラジャンプ発表のものだという。
著者あとがきによれば、
>2014年のコミックスの時は、ページ数の関係から『美加と境界の神』は入れられませんでした。そのうちシリーズの続きを描くこともあるだろうと思って、その時は断念したのですが、なんとなくその機会が来ないまま、10年以上もたってしまいました。初めての単行本化が文庫というのは残念なのですが、このまま眠らせておくのも悔しいので、このさい収録することにしました。
ということだそうですが、シリーズの続きはぜひぜひ描いてくださいますようお願いいたします。
文庫版はねえ、今回これ、初めて読むことになった作品見て、思ったんだけど、やっぱサイズが物足んない気がする。
読んだことあるやつが文庫化されるんならまだしも、やっぱ、ちゃんとマンガ読むなら、A5版くらいは欲しいなと思った。
「美加と境界の神」
『天孫降臨』シリーズでおなじみの天木美加は、村の境界に置く大きな藁人形に興味をもち、四方口村を訪れる。
そこで出会った男の子は、結婚して村に住んでいた姉を探しに村に来たという。
半月くらい前に姉が死んだと知らせがきたが、村の習慣だという葬儀は、火葬にはしないし、親族は埋葬に立ち会わない決まりだった。
初七日の後、東京に戻っていると、姉の携帯からメールが来て、寂しいところにいる、坂を登れないとか書いてある。
義兄に問い合わせても、まちがいなく死んだんだし誰かのいたずらだと言い、とても動揺していて何か隠しているらしい。
「夢見村にて――薫の民族学レポート――」
『天孫降臨』シリーズでおなじみの美加の兄である天木薫は大学生になっていて、民俗学を専攻していた。
実地調査に訪れた夢見村は、夢を売買する習慣や伝説がある土地だった。
温泉で出会った少女についていくと、「村に泊まると夢を見ると思うけど、その夢を誰かが買うといっても売っちゃだめよ」と言われる。
「悪魚の海」
『六福神』等でおなじみの小島渚は、ある夜の海岸で、中学のときの同級生だった後藤カオリが倒れているのを見つける。
カオリは出身の村で海女になり、厳しい訓練を受けていたが、逃げ出してきたのだという。
具合悪そうにしていたカオリは、次の日の夜になると、海に行きたいと言い出し、海に行くと「呼んでる 行かなけりゃ」と意識ふらふらした様子のまま沖に泳いでいってしまった。
小島渚はいつものとおりボーイフレンドの大島をつれて、カオリの家のある尼捨岬の余利集落へ出かけていくが、海の近くに行ったところ、いつものように霊媒体質のせいで、魂が抜けたような状態になってしまった。
先崎学 2015年 日本将棋連盟
これは、つい最近、たまたま見つけた古本。
おや、これはと思い、パラっとめくると、「まえがき」に
>週刊文春のコラムが本になるのもおそらくこれが最後だろう。
って書いてあって、目次んとこ見ると、
>本書は「週刊文春」2007年5月17日~2012年11月1日号に掲載された「先ちゃんの浮いたり沈んだり」の中から70編を抜粋して再編集したものです。
とある。
一瞬、んー、これ持ってたっけ、って自分でわかんなくなってしまい(恐ろしいことに最近こういうことがよくある)、迷ったけど、読んだことないはずだ、って決めて買った。
ウチ帰って、本棚探したら、『今宵、あの頃のバーで』が2011年の出版なんで、その後ってことになる。
ただ『今宵~』のほうも2007年~2011年の同連載コラムの抜粋なんで、純粋に時系列的な続編というわけではないみたい。
ちなみに『今宵~』のなかに、「摩訶不思議な棋士の脳」ってタイトルつけられた一節がある。
それは、対局中にトイレに行ったときに、第三者から「今日の相手は誰」と訊かれて、度忘れして対戦相手が誰だかわからなくなってしまう現象があることを、複数の棋士が証言しているというもの、摩訶不思議。
それにしても、
>心機一転で迎えた一月も二連敗して、暗い気分がつづいている。こうなるといけない。私はこの連載のタイトルではないが、気分に浮き沈みがあるほうで、今は深く沈んでいる。(p.29)
とか、
>順位戦を負けて、うちひしがれてこの原稿を書いている。勝ちたい勝負に負けるというのは辛いものである。どうも最近、心の底から沸々と湧いてくるような自然な気合というものが入りにくい。(p.56)
とかってのを読むと、のちの「うつ病」に結びつく予兆のようなものを、今から思えばって感じてしまう。
まあ例によって、話題は多岐に及ぶんだけど、後輩に対して、
>私は後輩の諸君にいいたい。
>おまいら、もっと外に出ろよ。外の人と飲み、喋り、多様な世界観を持て。(p.52)
とか、
>古くは升田幸三、大山康晴、今では私の師匠米長邦雄、羽生、みんなマスコミに積極的に出て将棋をアピールした。マスコミに出るということはにぎやかすということである。にぎやかしこそ、将棋界の生命線なのだ。
>だから将棋の棋士は、囲碁の棋士以上に世に出る必要があると考えている。後輩諸君も頑張れ。(p.219)
とかって、まじめに言ってるとこが今回は特に印象に残った。
後者のほうは、明治このかた財界のパトロンは囲碁に多くついたけど、将棋は庶民に人気があるんだって話とつながってんだが。
前者のほうは、将棋界が狭すぎるって話からきている、プレイヤーと報道する側に、ある程度の距離があったほうが健全なのにズブズブではないかと。
しかも将棋界では新聞社がスポンサーであるって状況が長かったから、金を出すのと報道するのが同じ側っていうややこしい世界だという。
だから先ちゃんのいう外に出ろってのは、たぶん将棋マスコミぢゃないところに出ないと達成したうちには入らないってことぢゃないかと。
いまはネットにいろいろ出演する機会が増えてるみたいだけど、棋士同士で会話してるのを将棋ファンに向けて発信してんのは、外に出てるとはいえないんだろうねえ、きっと。
それはそうと、ネットに関係して、興味深い話としては、
>ネット社会が発達してからさっぱり見られなくなった将棋業界の光景に、直近の成績を訊くというものがある。昔は、こないだの対局、どうでした? とおそるおそる訊く姿がよくあったものだった。(略)
>あれは訊くほうも勇気がいったなあ。この世界、対局の結果にはおそろしく気を遣うのである。自分が先輩の時ならまだしも、後輩の身で先輩に訊く時には、声が裏返りもしたものだった。(p.20)
ってのがあるんだけど。
つづきに、
>昔、先輩に深刻な対局の結果を軽い感じで訊いたら「よく訊いてくれた、飯を食いに行こう」といわれ、鰻を御馳走になれたことがあった。
というのがあって、要は誰かに訊いてほしかったところへはまったわけだが、情報の流れがちっとやそっと遅くたって、古き良き時代であったとわかる、「あのコワイ感じ、短いやり取りの緊張感は懐かしく思う」とも言ってるし。
どうでもいいけど、いつも先崎九段のエッセイでは、郷田真隆九段がかっこいいこと言うとこがあったりするんでひそかに注目してるんだけど、本書では2012年3月の棋王戦で郷田九段が勝ってタイトル獲得した晩に二人で朝まで飲んだときに、
>長い酒の席で、何度か郷田は泣いていた。四十でタイトルを奪るのは、二十代で奪るのとは違う感慨があったのだろう。(p.37)
って書いてあるのが印象に残った、そんなことあったのね。
大きな章立ては以下のとおり。
第1章 対局室の静寂を乱すのは? ~プロ棋士の将棋~
第2章 風邪と素数と詰将棋 ~プロ棋士の日常~
第3章 島朗九段との伝統の一戦 ~先崎九段の将棋・イベント~
第4章 詰碁とダイエットの相似性 ~先崎学の日常~
第5章 新鋭に将棋界の歴史を語る夜 ~これからの将棋~