かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

神秘のウズベキスタンその35 タシケントへ

2024年10月19日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan
今日は、晴れから、気圧急降下。
今は、まだ蒸し暑い。
お墓参りして、その他雑用など。



翌朝は、とんでもない早起き。
列車でタシケントに移動するのだが、早朝と、午後の1日2便しかないとのこと。
日本の新幹線のいかに便利なことか。
スマートな感じの、サマルカンド駅。



ウズベキスタン鉄度の広告。



巨大なステンドグラスが、駅舎を飾る。



6時13分発。
プラットフォームが一つしかない!?



駅構内。
天井が高く、すっきりしたデザイン。



プラットフォームに出たところ。
朝日が昇る。



なかなかカッコいい列車。



停車時間が短いから、スーツケースの搬入は、ポーターにお願い。
それでもなかなかの重労働。



結構スピードを出すが、乗り心地は、よい。
軽食が出るが、途中コーヒーも注文。



タシケントに到着。
ここも猛暑だが、噴水が救い。



駅脇に、鉄道博物館があり、蒸気機関車などが並んでいた。
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神秘のウズベキスタンその34 サマルカンド⑤ グリ・アミール廟

2024年10月14日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan


今日もゴルフ。
昨日よりもいい天気。
遅いスタートで、終盤は、西陽が、強い。

前半は、ベストボール競技で、チームワークよく、見事5位入賞。
賞品の餃子をいただいた。
後半は、通常のゴルフだったが、まずまず。
やはり、気候がいいと、スコアも少しはまとまる。



帰る時には、もう西陽。
富士山のシルエットが、美しい。



シャフリサーブスからサマルカンドに戻って訪れたのが、グリ・アミール廟。
タジク語で、支配者の墓の意味。
アミール・ティムールが埋葬されており、インドのフマーユーン廟や、タージマハルにも影響を与えたと言われている。



向いの門からの、撮影スポット。
空の青と、屋根の青が、見事に調和。



ドーム屋根とミナレット。



全体の姿。



見事な入り口。
イーワーンと呼ばれる。
上部の装飾は、ムカルナス様式で、当時の最高峰の技術で作られた。
その周りのタイルも、有数。


中には、ティムールの遠征の説明が。
ティムール帝国の巨大さに驚かされる。



中の美しい装飾。



ティムール像とグル・アミールの模型。
ティムールの遺体は、ソ連によっていったん掘り起こされ、研究材料にされたという。
その結果、モンゴル系とされたそうだ。
その後、戦争が起こったため、遺体は元に戻されたという。
ただ、今の肖像画は、ウクライナ人風に描かれる。



青のドームの内側。
美しい。
高さ38m。



黄金霊廟。
そもそもこの廟は、ティムールの最愛の孫で王位継承者であったムハンマド・スルタンの戦死を偲んで作らせたものだが、その1年後、ティムール自身も中国遠征の途中で急死し、ここに埋葬されることになった。
ティムール自身は、こお前に訪れたシャフリサーブスへの埋葬を望んでいた。
装飾には、黄金がふんだんに使われ、その下地には、サマルカンドペーパーが使われた。
中央の黒緑色(ネフライト)の墓石が、ティムールの墓。
その他に、ティムールの師であるミルサイード・ベリケ、孫ムハンマド・スルタン、孫で第4代君主のウルグベク、息子達、ひ孫達が眠っている。
実際の墓は、地下3mの墓室にある。



外の光も取り入れる。



ティムールの顔に見える?



実際の墓室の入り口。
入室不可。



廟を出たところで売っていたT。
All You Need Is Plov!
Plov は、ウズベキスタンの郷土料理の焼き飯(ピラフ)。
もちろん All You Need Is Love のしゃれ。
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神秘のウズベキスタンその33 シャフリサーブス③ ドルッサオダット建築群

2024年10月13日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan
今日は、爽やかな秋空の下、ゴルフ。
平凡なスコアながら、楽しめた。



ドルティロヴァット建築群の奥にドルッサオダット建築群がある。
裏側にあるという感じ。
途中、土産物屋が並んでいる。



シャフリサーブスのロゴ。



モスクのお祈り時間の表示。
毎日少しづづ変わる。



ハズラティ・イマーム・モスク。
ティムールの命により、イランから移した8世紀のイスラム活動者であったハズラティ・イマーム・バグダッティの亡骸が改葬されたという。



隣接するジャハンギール廟。
ティムールが息子のために建てた。



ドームを中から見上げたところ。



お墓。
The wise man relies on his endeavor and action and the fool man relies on his riches の文字があった。



その半地下にあるティムールが納められるはずだった部屋の飾り文字。
四方にイスラムの教えが記されている。
これは、Allah is Great の意味。
20世紀になって発掘された。



ティムールが生前準備した棺。
堂々としている。
戦争中に亡くなり、ここに葬られることはなく、サマルカンドのグル・アミールに葬られた。



土産物店。
質の良いバラまきにも使えるお土産がいっぱい。



ティムール手植えと伝えられる。



ちょうど礼拝の時間となり、イスラム教信者が集まってきた。



サマルカンドに戻る途中。
のどかだが、その奥には、山も連なっている。
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神秘のウズベキスタンその32 シャフリサーブス② ドルティロヴァット建築群

2024年10月05日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan
今日は、雨模様。
昼も夜も会食が入っていて、あまり影響はなかったが。



アク・サライ宮殿跡の南に、ドルティロヴァット建築群がある。
瞑想の家の意味だという。
その中核が、15世紀にウズベクによって建てられたコク・グンバズモスク。



井戸。



15世紀の建築。
チムールの息子のシャフルフの息子であるミルゾ・ウルグベクの命令で建設された。



中央の広場には、小さなミナレット。



その向いにあるのが、シャムス・アッド・ディヌ・クリャラ廟。
アミール・チムールの精神的指導者であるシャムス・アッド・ディヌ・クリャラ・アラ・ケシ首長が埋葬されている。
その下にチムールの父が改葬されたという。



内部。
清楚な美しさ。



ちょっと変わったデザイン。



棺。



その奥にあるグンバズィ・サイーダン廟。
ウルグベクが自分の子供のために建てた。
一番奥の墓石に水が溜まっており、この水が、子供たちのための聖水になっている。



遠くの山には雪が残っている。
4,000m級の山々になる。
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神秘のウズベキスタンその31 シャフリサーブス① アクサライ宮殿跡

2024年10月02日 | India・Sri Lanka・Nepal・Bhutan・Uzbekistan
今日は、夏に逆戻り?
庭仕事は、もう少しで一段落?



翌日は、サマルカンド近郊の世界遺産シャフリサーブスへ、ショート・トリップ。
当初は、平原が続くが、段々山も見えてくる。
緑が溢れている街の意味だそうだ。
7~8世紀には、ケシュの名で、ソグド国の重要な街の一つだった。



途中の休憩所にあったモニュメント。
ピンク・レンジャー?



ガイドのカモラさんが、見せてくれたカラカルパクスタン共和国の国旗。
独立運動など起きないのだろうか。
ソ連崩壊の時、中央アジアに、5つの国が独立した訳だが、結構ドタバタで独立したのかもしれない。
ロシアとしては、その後始末が、今のウクライナ侵攻に繋がっているのだろう。



ソ連時代の車。



街の入口には、スイカのモニュメント。



ひまわり畑が見れるはずだったが、しょぼかった。



飼育されている牛。



そして、アク・サライ宮殿跡。



ほとんど倒壊しているが、タイルが一部残されている。
アクは、白いとか、壮大なの意味で、サライは、宮殿の意味という。
14世紀にサマルカンドの宮殿より大きな宮殿が、ティムールの生まれ故郷である当地に建設されたのだという



このプールは、長い間忘れ去られていたが、文献に残っており、発掘調査の結果発見された。
プールの底のタイルが残っていて、公開されている。



アクサライ宮殿跡を、裏から見たところ。



ティムール像。



ティムールは、南のアフガニスタン方向を眺めている。
あの山の向こうは、文明の十字路と言われるアフガニスタンだ。
もう1日あったら、テルメズというもう一つの都市に行けるのだが、そこには、仏教遺跡があり、立派なガンダーラ仏も発掘されている。



プールの底のタイルは、地中に埋まっていたため、保存状態も比較的よい。



今は、高さ38mだが、当初は、50mだった。
16世紀にブハラのアブドゥル・ハンにほとんど破壊されていて、残されたのは、この門のみ。
アミール・チムール王朝の痕跡を消そうとしたのだという。
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