三重県桑名市の「大黒屋」で鯉料理をいただいた後はもちろん隣の「西大黒屋」へ。確かめていないが大黒屋で出された多度名物「八壺豆」はこちらのものだったろう。それにしても大黒屋の西にあるからって”西大黒屋”とは…。血縁の方が始めたのだろうか。店の前の幟には”宝永年間創始”と書いてある。こちらも凄い歴史だ。建物は古くなく、引戸は開いたままだったので店に入る…が誰も出てこない。”八壺豆”と書かれた所には1つも商品が並んでいない…。あれ、ひょっとして買えないかなと心配に。大きな声を出すと奥から女将さんが出てきた。「ごめんなさい、ひとつも並べないで。」どうも奥で八壺豆を作っていたところのようで、手にはいくつかの出来たてでまだ閉じていない袋が。もちろんその出来たてを1つお願いした。「どこからいらしたの?」と尋ねる女将さんと立ち話。ちょっと”要らんこと言い”の女将さんにわが故郷を若干ディスられながら(苦笑)勘定を済ませ持ち帰った。
風情ある紙の包みに入った「八壺豆」は大豆が甘いきな粉で包まれたお菓子。表面は白砂糖で化粧されている。材料は黒蜜と大豆ときな粉だけのようでシンプル。包みにも”お茶のとも”と書かれているが、熱い緑茶にぴったりで旨い。クセになってついついもうひとつと口に入れてしまう。こちらが始祖なのかどうかは分からないが、多度大社の参拝者の土産として江戸時代からあるのだとか。和菓子って大抵似たようなものが他所の土地でも見つかるのだが、八壺豆に似た菓子ってあるのかな。(勘定は¥500)
↓ 同じ通りにある立派な建物「桔梗屋」(建築詳細不明)◇。享保元年(1716)創業というこちらも八壺豆(たど豆)を扱っている和菓子屋らしいのだが店の棚には何も並んでいなかった。ただの休業日なのか、商売を辞めてしまっているのか微妙な感じ。
↓ いなべ市の田んぼの中にある江戸時代に造られたという用水に架かるコンクリートブロック製の「ねじり橋」(大正5年・1916・建造)◇。これもやはり”ねじりまんぽ”の一種らしい。橋の上には三岐鉄道・北勢線の黄色い電車が走る。
↓ 「ねじり橋」のすぐ近くにある「めがね橋」(大正5年・1916・建造)◇。三連橋でこちらもコンクリートブロック製。姿が美しいので黄色い電車が通るところを撮りたかったが、移動していたら撮りそこねてしまった…。どちらも土木学会の「選奨土木遺産」に指定されている。
↓ 北勢町阿下喜(あげき)にある「桐林館(旧・阿下喜小学校校舎)」(昭和11年・1936・建造)◇。登録有形文化財に指定されている戦前の木造校舎。教室の一部がカフェ「桐林館 阿下喜美術室」として営業していた。
西大黒屋
三重県桑名市多度町柚井1799-2
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