変形性股関節症に負けない『心と身体』を目指して -運動指導士 彦坂惠子-

踊りが命と舞台と指導に明け暮れていた私が突然変形性股関節症と言われ、手術をし引退したが現在運動指導士として活躍中

年の瀬

2009-12-29 15:46:54 | 日常生活

 こんなに、おだやかな年の暮れはしばらくぶりです。

 叔母は、いま昼食後・・・ のんびりとテレビを見ています。

 昨年、一昨年となにを私は考えていたのだろうー?
とふっと思い・・・  自分のブログを見直していました。


 思い起こせば・・・・・
本当に前年までの 私の年の瀬は毎年大変でした。


 ・2004年12月22日に義母が89歳で入院。大腸がんで入院したときは
 手遅れでした。「痛い!お腹が痛い!」 と意識朦朧で最後は、コル
 タールのような便がにょろにょろと出て・・・ 私はショックでご飯がく
 食べられなくなりました。そんな義母は、なんと1月2日(1日の日がわ
 ってすぐ)亡くなりました。この年2005年は新年早々のお葬式で大で
 した。私の左脚股関節手術もこの2005年でした。

 ・2006年12月初旬。実母が認知症の発症? 東京へ出掛けたのに、
 宇都宮警察隊から連絡があり、保護しています、と。
 母の迷子事件。それから、母の介護が始まった。

 ・この年は、12月30日、義父の警察へ保護事件もありました。亡くっ 
 て2年経ったので、お話します。義父は94歳で亡くなりましたので、時
 92歳でした。主人が実家である義父の家の大掃除に、朝10時頃行し
 たら、家中(信仰している神棚3ヶ所)の神様をぶん投げて叩き壊しい
 たそうです。
  この後、とんでもない事件になりました。
 当時、義母亡き後、姉が(独り身の義姉)義父と同居しておりました。
 義父の介護に、当時「死にたい!」と義姉のメモをみつけていた私  
 は、主人と心配していたのですが・・・
 姉からの電話で
 「殺されるー すぐに来て!」 「警察を呼んだから」
 
 私は、実母がおりましたので行けませんでした。帰ってきた主人に
 よると、父が天からの命で姉をころせ、と。 危ないことを察した姉は
 刃物を隠した、が はさみのような カッター?のようなもので刺され
 そうになり、やもなく警察を呼んだそうでした。
  父は、昔の剣道 水練など体を鍛えていた人でしたから・・・
 おまわりさん5人がかりで取り押さえて、警察署へ。姉と事情聴取。
 そして、一晩 父は警察にご厄介に。次の日、緊急措置として、関東
 圏の精神病院へ隔離。3ヶ月後、一般の精神系の施設へ、6ヶ月後
 認知症対応型施設へ。
 
 こうして書いていると 大変な義父でしたが、大正生まれのすてきな
 真面目で頑固な愛すべき父でした。


 ・2008年は、忘れもしない、12月28日。
 叔母の大腿骨頚部骨折。入院。

 
 実父、実母、義父、義母。
 もうこの世にはいません。大好きな大切な人たちでした。


 今、こうしてのんびりとPCに向かっている。なんにもないことが、こんなに穏やかで幸せなこと!

 当たり前のような日々の繰り返しが・・・

 「幸せ」


 生きていれば、色々なことが 本当にあるものですね。

 幸せに、生きていることに感謝して、元気にがんばろうー!!!


 どうぞ、みなさま 転ばないで! 年の瀬だからと慌てないで!
いつもより、十分注意して落し物・忘れ物しないように。


 今年も後 もう少し。

 ★変形性股関節症に負けないでね!
 何があっても元気な心で、頑張ってください。私も

 



 


 

コメント
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