今、テレビの映像で、豪雪地帯の山形県の今朝…物凄い、豪雪の中を通学する小学生の姿を
映していました。
このくらいの寒さ…なんのその…って頑張らなくっちゃ…ですね。
亡き母の故郷も豪雪で有名な新潟県でした。
母の幼い頃は、冬は積雪で玄関が埋もれ…二階の窓から外へ出入りした! って聞きました。
だから、都会に20歳前に出てきて、冬は楽で嬉しい、って。
今日もみかんさんの『明日への階段』を続けます。
出口の見えないトンネルの中で、試行錯誤をする、みかんさんは…どうしたのでしょうか?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
{二}手術入院
とりあえずと変形性股関節症の手術を申し込んだ大学病院、その後出あい温存療法に望をかけて
通う温泉病院と意志判断は二分する。
今以上に傷めないよう歩数制限をシ、プール通いで筋力を落とさないように努める日々だ。
跛行は相変わらずで、夜間の眠りも妨げられるようになると気持ちは手術の方へ傾いていく。
果たして、「手術で人生を取り戻した」Cさんのようにうまくいくかどうか。
痛みも慢性化してくると体も硬くなる。ものごとにも集中できない。この痛みさえ失くなれば
楽になるのに、長いトンネルから抜け出すことばかりに気をとられる。
「手術を考えた方がいいんじゃないのか」
もっともな意見だが、なかなか踏み切れないでいた。
2009年は嬉しいニュースが続く。結婚6年目にして長男夫婦に息子が生まれ、次女も暮れには
ママになるという。産後はなんとしてでも力になってやりたいが、この状態では自分の面倒をみるのが
精一杯だ。そこへ大学病院から、キャンセルがあったとかで手術入院の打診が来た。一瞬たじろいだ
が、応じる。
「そうか、決心したか。大丈夫だ、今の医学を信じてがんばれ」は夫の本音だった。
ことが決まると、留守中の段取りなどで忙しくなる。手術用の輸血に使うため自己血の採血や
諸々の検査、担当医のインフォームドコンセントがあった。
「執刀は私ですが、股関節専門チーム全体で行います。一緒にがんばりましょう」と
握手を求められた。
九月三日朝、入院。〈前日の予定〉はぎっしりだ。車いすに乗せられ色々な検査に回った後、
手術箇所へのマーキング、麻酔医からの説明、最後はリハビリ室へ。
理学療法士が股関節のぐあいや可動域を調べ、足腰の筋力テストをいくつも促しながらカルテに
書き込んでいった。本格的リハビリは術後3日目から行うという。
朝一番の手術なので夕食は出ない。叔母やいとこ達、娘夫婦が応援に来てくれた。
「がんばってね」。だいじょうぶよ、と応える。出陣前はこんな気分なのだろうか。
朝、車いすのお迎えが来る。夫はデイルームで待機し、私は手術階へ。受付で名前と病名を
確認。無菌室では10人ぐらいのハタッフに迎えられる。私の大写しのレントゲン写真が掲示されて
いた。生まれて初めて手術台に乗る。脊髄麻酔の後、いつかテレビで見た宇宙服のような出で立ちの
執刀医の姿を確認する前に意識は失くなった。
もっと続けたいのに………………
目が開けられないくらい……………痛い!!!!! ごめんなさい。
次回に続きます。。。。