昨年の今日の9日に… 昨年は、梅雨明けをしたそうでした。
さっきラジオで言ってました。
今頃、〇〇さんは、人工置き換え術手術のため、麻酔をして手術室に入った頃かもしれません。
昨日のメールで、今日は、3人の方が手術をするのだけれど、3番目で15時頃と言ってました。
〇〇さん、頑張れ!!!
私はといえば、昨日は、寝られない細切れ睡眠+寝付けない睡眠も加わり、
4時間もトータルで寝られなかった!
この夏の日差しで…
本当に倒れそうでした。
なかなか、思うようにならず、四苦八苦している有様で…
今日は、しばらくぶりに私の愛読誌「高野山教報」から、ご紹介します。
『四苦八苦』
竹原祐乘(兵庫県 法導寺住職)
人間がこの世で生きていくうえで通り過ぎることのできない四つの苦しみについて、
お話します。
最初は「愛別離苦」です。これは愛しい人と別れる苦しみのことです。
両親であったり、共に歩んできた夫や妻であったり、悲しいとに子どもに先立たれる
こともあります。
昨年のお盆のことです。新盆の檀家にお参りに伺いました。
そこは父娘の二人暮らしでした。3,4年前からお父さんは体を患い入退院を繰り返して
おられましたが、年の暮れに亡くなられました。
お経をあげ提灯に迎え火を をつけ、お茶を飲みながらお話していますと、お父さんが
あの世に旅立たれたことをなかなか受け入れることができなかったそうです。
そして、こんな話をしてくださいました。
「子どもの頃、おばあちゃんが、お通夜やお葬式の前を通る時は手を握って親指を隠して
通らないと親が早く亡くなる、という言い伝えを教えてくれました。お父さんが病気の時に
思い出して、車でお葬式お通夜の前を通りかかると、祈りながら手を思いっ切り親指を
隠して通り過ぎるようにしていました。
先日、お葬式の前を通りかかったので、いつものようにギューッと手を握り親指を隠したのですが
「あぁ、そうや、父ちゃん、亡くなったんや、もう親指握らなくてもいいんや。
このとき初めて、お父ちゃんがあの世に行ったんだと思いました。」と。
「今日、この提灯の灯りを見て帰ってくるで」と言ってあげると、
「そしたら、いっぱい話をしないとあかんな」と笑っていました。
愛しい人といつかは別れなくてはならない。
人間が人間であるために味わう苦しみが愛別離苦です。
次は、「怨憎会苦」です。
愛する人と別れるのは本当に辛いことです。それとは逆に、会いたくない人と会わなくてはならない
苦しみがあることも事実です。
「どうもあの人は昔から苦手で、会いたくないのになぜか会ってしまう」というように
会うことが苦しみになってしまうのです。
この苦しみを愛別離苦と反対の怨憎会苦と言います。
怨憎とは、怨みや憎しみのことで、本当に厄介な苦しみのひとつです。
いやなものに会う苦しみが避けられないのであれば、どうしたらいいのでしょう。
これも、この世に生まれてきたことの宿命、仏さまが与えてくれた修行かもしれません。
悪縁をなくす、この世での罪障消滅を進めていきます。
いやなものに会う苦しみを避けていたら、ますます悪縁悪化を招くことになります。
人に対しての怨みや憎しみは、自分の都合や不都合から生まれてくるものかもしれません。
この苦しみに対処するには、仏さまにすべてお任せし、怨憎会苦は、仏さまが与えて下さった
修行の場であると思い、つらいこと、いやなこと、嫌な人に会うことも自分に与えられた
仏さまの慈悲であると、笑いながら、こだわらずに向き合っていくことで消えていく苦しみ
かもしれません。
人から見れば、自分も怨憎会苦の種になっているかもしれません。
「求不得苦(ぐふとっく)」は、欲しいと求めても得ることができないことです。
名誉が欲しい、金が欲しいと思ってみても、思い通りにならない苦しみのことです。
いままで順調であっても何かでひずみがでるといまくいかず、描いていた名誉も地位も
思ったようにならない。
思い通りにならないのが世の常です。
感謝の気持ちを忘れず、思いやりを持って、合掌の心を大事にしたいものです。
最後に「五陰盛苦(ごおんじょうく)」、すべてが苦、肉体も精神も自分の思いどおりに
ならない苦しみのことです。
最初の生老病死はこの世に生まれて生を送る苦しみ、後の四苦は人間が人間であるために
味わう苦しみです。
合わせて「四苦八苦」といいます。
思い通りにならないからこそ人にやさしくなれるし、限られた時間の中でお互い持ちつ持たれつ
生きているからこそ、命は尊いのです。
そうは解かったはいても…
修行が足りない…この身ではつらい… トホホホホホホ~
『変形性股関節症に負けないでね!』