梅雨明け宣言が、まだですが…
あつーーーーい!! です。
急に暑くなって、叔母が、やはり調子を崩しました!
食欲がなくなります。
普段でさえ…私の半分以下なのに…
29キロ(体重)をさらに、減らさせないように、と頑張ってお世話しておりました。
何とか、普段通りの食欲に戻り、睡眠も相変わらずの昼夜逆転、細切れ睡眠ですが…
気分が良さそうなので… 今日は、デイへ行ってくれました。
節電を心掛けているので…
結構、つけたり消したり、扇風機をあっちこっちに置いたり、窓を開けたり、しめたり、と忙しい。
これで、前年比(電力量)10%だったら、嬉しいけれど…
対して、変わらないかも?!
いやいや、昨年の震災で、避難されてご苦労していらっしゃる方たちのことを思えば…
こんなこと、当たり前、だ。
首にタオルを巻いて、がんばろうー
今日は、私の愛読誌「高野山教報」から、ご紹介します。
『現世利益を越える(その2)』
高野山真言宗管長 総本山金剛峯寺座主 松長有慶
わが国の古代人の素朴な信仰の話とか、説話を集めた「霊異記」とか「今昔物語」などには、観音さまに
関するさまざまな霊験談が載っています。
中でも御手代東人(みてしろのあずまびと)のかけた願いのように「南無胴銭万貫、白米万石、好き女多く
徳施せよ」といったような強欲な願いも、観音さまは快く聞いておられるけれども、もともとは人間が生きて
いく上での最低条件が満たされなくなった場合に、観音さまは人々からすがりつかれたようです。
「法華経」第二十五品にあたる「普門品」つまり観音経には、ずらりと観音さまにお願いする現世利益の
願いが「念被観音力」の称名とともに並べられています。
ここでは観音さまにかけたどれ一つが聞き届けられなかったにしても、その人の生命にかかわる重大問題と
いってよいでしょう。
それだけにお願いするほうでも必死であったろうと思います。
「西遊記」出てくる三蔵法師の原型ともいわれる、法相・唯識学の大家で「大般若経」をはじめ多くの大乗経典
を翻訳した三蔵は、求法の旅の途中、盗賊に会って命の危険を感じた時、ひたすら観音さまを念じ助かった
と、その伝記に記されています。
生命の危険というほどのことでなくとも、病気を治してほしい、なんとか商売を順調な軌道に乗せたい、次々に
襲いかかる不幸な出来事を回避したい等々、あつかましい願いだと自分から遠慮することはありません。
観音さまの前で思いっきり駄々をこねてみるのもいいでしょう。悲しければ大声で泣けばよい。
くやしければバリバリ音を立てるほど歯軋りもしてみよう。思い切り欲張った願いも並べ立ててみるのも
よいでしょう。
身勝手な願いであるかどうか、それは観音さまの方で決めてくれることです。
そして最後に、私が観音さまになろう。
一番大事なことはこれです。観音さまの前で泣くのも、愚痴をこぼすのも、赤裸々な欲望をむき出しにするのも、
みなその人が最後に観音さまになるためなのです。
投げ出すことのできる心の悩みは、観音さまの前で一切合財すべて放り出してみたらいい。
そして、その後で自分が他人の不満の聞き手に廻ろう。
私が、観音さまになるということは、こういうことなのです。
愚痴を発散させる相手もなく、積もり積もった欲求不満を吐き出す相手を捜し求めていた時、どれほど
聞き手が欲しかったか。
それをもう一度思い出してみることが大切です。
そして今度は自分がその聞き手になって黙って聞く。
訴える人の身になりきって、うなずき、肩をたたき、ともに涙を流す。
これだけで聞き手はそのとき観音菩薩になっているのです。
現世利益の願いは決して後ろめたいものではありません。
でも身勝手な願いが叶えられてそれでおしまいというのでは、さもしい限りです。
その後で苦しんでいた時の自分を思い出し、他の人々のためにどれほど自分が汗を流すことが、
出来るか現世利益を判定する基準はここにあります。
何故だか、わかりませんが…突然、秋葉原事件の犯人が、携帯でつぶやいていた時のことが…
頭に浮かびました。
架空の誰か? 誰でもいいから?
愚痴を聞いて、ほしかったのだろう… か?…
せめて、身近に観音さまがいたら、宗教心が少しでもあったら… 違ったのに… なんて、思いました。
私が、睡眠障害で、とても苦しみ悩んでいた時に…
観音さまが、うちに来てくれました。(前にブログで書きました)
彼女のおかげで、良い方向へと進むようになりました。(まだ、相変わらずの睡眠中断ですが…)
自分の体は、借り物(神さまからの)で、自分の心だけが唯一自分のもの…
と、私は、考えています。
だから、借り物の体は、いつかお返ししなければいけないし、年をとれば部品が傷んだり、壊れたり
する、って。
股関節も傷めてしまったから(私の場合のことです)、元には(舞踊家としての自分)もどれない、
けれど、うまく使えば大丈夫!! って、そんなふうに、今は考えています。
『変形性股関節症に負けないでね!』