今日は、五月の第二日曜日。
「母の日」です。
いつから、この母の日ができたのか? 覚えていませんが…
私が小学生の頃から、カーネーションの造花の花を胸につけた思い出が
ありますので、、
その時に、お母さんのいない人はカーネーションの色も赤ではなくて、、
子ども心に、なんで、かわいそう、、なんて思いましたっけ。
お母さんが、いなければ(もちろんお父さんもですが)…生まれてこれなかった
わけですから、深い意味がありますね。
今日は、五月晴れです。。
とても気持ちが良いです!!
家にいるのが、もったいないけれど… しかたがないです。。。
今は(今日は)、家にいることが私の役目。。(叔母の介護です)
息子が、また契約が取れました。
立て続けに、不思議ですね。。
頑張っている息子は、母の日のプレゼントはなにもありません。ガク。。
昨年は、別れた前の彼女が彼女の家の近くのお店から、息子の名前で
(二人で選んでくれたカーネーションの鉢が送られてきました。まだ、その鉢は
ベランダで今年も花をつけました)
新しい彼女、まだ、、、、できません。ガク。。
だから、プレゼントももらえません。ガク。。。
しかたがないから、パパ(主人のこと)にも内緒で、自分で自分に
プレゼント(母の日の)買っちゃいました(ククククっっホホホホ)
かばんと夏用ワンピース、安物ですが…
ちゃっかりしていますね。私って。。
今日は、私の愛読誌「高野山教報」からご紹介します。
平成22年の新聞からなので、4年前の新聞からです。
『おかげさまで』
「おかげさまで」という言葉に触れておきましょう。
注意していると気が付くことですが、「おかげさまで」という言葉を意識しないで
盛んに使えるのは、一般にはどうやら50歳以上の年代、つまり第二次大戦が
終わった時、すでに生まれていた人々ではないかと思われます。
「お変わりありませんか?」
「はい、おかげさまで…」
「すっかり健康になられて、よかったですね」
「はい、おかげさまで…」
『おかげさま』って、どういうことでしょう。
それは、この言葉が使われる場面を考えれば、どういう意味を持っているかが
わかります。
「お具合がお悪そうで…」というときには、「おかげさまで」とは言いません。
物事が結果として現れるためには必ず、直接的な、間接的な、たくさんの原因
が働いています。
つまり自分にとって本当によかった、と思われる結果が得られていると感じた
ときにはもう、『陰』に隠れてしまっているたくさんのものの働き、たくさんのものの力。
それらのすべてをひっくるめて、私たちの先祖の時代から、日本では、
「おかげさまで」 「おかげさまで」と使い続けてきたのです。
もちろん、そのときには、目に見えない神仏の加護(守りの力)も感じとって
いたことは言うまでもありません。
その「おかげさまで…」を食事の前に形で表わしていたのが、
手を合わせることだったのですが、最近では、お寺の幼稚園や保育園で、
また、テレビドラマに出てくる「しっかりした家庭」の食事のシーンくらいしか、
お目にかかれなくなりました。
この素晴らしい言葉を、絶やしてはいけません。
感謝の言葉、、「ありがとう」 「おかげさまで…」
意識しないで、ふつうに使えるようにしたいですね!!
亡き父母の写真に向って、「ありがとう!」
「おかげさまで…私は、元気に楽しく暮らしています!」と言いました。
『変形性股関節症に負けないでね!』