成功した人の中に、自分がどうやって成功したかを人に話したがる人がいる。成功したのはなぜか、どこをどう工夫し、どうやったからだということを滔々と述べる。
例えば、スポーツ選手。トップ選手の多くは幼い頃から英才教育を施されている。3、4歳頃からのトレーニング中のビデオ映像を見ると、才能と環境がマッチした偶然の幸せを羨ましく思う。芸能人も二世となってくると、その環境が羨ましい。政治家もそうだ。色々な程度に成功している人というのがいるけれど、自分が自分だけの力でその地位、名声を得たと思っている人がいる。
私は、こんなに努力した、だから成功してその道の一流となった。努力しなかった人は、それなりのところで我慢するしかない。
といったようなことを、自己責任、という、一見公平そうな言葉を使っていう人がいる。
それって、違うでしょ。
どんなに努力したくても、環境が努力することを許さない人がいる。
努力したくても、身体的に努力することができない人がいる。
そういう成功した人たちには、他人よりも恵まれた環境があり、そこにいたからこそ教わることのできたコツ、技術というのが少なからずあったはず。
有能なコーチを得た選手は、自分の力ではなく、コーチの力で勝たせてもらっているだけかもしれない。
大学受験に強い予備校に通っていなければ、どこの大学にも引っかからなかったかもしれない。
人間、うまくいくとどこかで勘違いが始まって、後戻りできないほどおごり高ぶってしまうこととなる。
生まれた時、少しでも放っておかれたらそのまま死んでしまうような弱い存在であったのを、親だけでなくその周りの何人もの人に助けられて育っていくのが人間だ。たった一人で生きていくことはできないのが人間であり、誰かに助けてもらったことを常に忘れてはいけない。
私は、私一人で生きてきたのではない。
私は、この先も私一人で生きていくことはできない。
それはすべての人にとって同じ
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今日までそして明日からも、吉田拓郎 tribute to TAKURO YOSHIDA |
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