こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

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病理医だけの病理のカンファレンス

2017年06月23日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

病理医が病理医同士で話し合う機会というのはなかなかない。

日常の病理診断業務はどうしても臨床医が介在してしまうし、病理診断科の部屋には病理医以外の人があれこれ出入りする。というか、それが当たり前といえば当たり前のことだ。誰も訪ねてこないような病理診断科では問題だ。

一般病院だと病理医は一人か二人、そもそも話し相手となる病理医がいなかったり、互いに忙しかったりしてなかなか他の病理医とディスカッションする時間が持てない。お互い仲が悪かったりしたら、絶望的だ。

ところが、病理医だけで話すことのできる機会がある。

それは、病理解剖のカンファレンス。

カンファレンスでは病理解剖で摘出した臓器についての肉眼所見の検討を複数の病理医で行い、今後の組織学的診断への道筋を考える。

A先生のこういう見立て、B先生のあんな見立て、というように多くの病理医がそれぞれ意見を出し合ううちに、亡くなられた方の病気の経過、死因が見えてくる。もちろん、肉眼診断は病理解剖という長い作業の途中に過ぎない(病理解剖で思うこと(4/10)(5/10))。

病理医の目標の一つは肉眼診断でミクロ診断までできるようになることであり、それぞれの病理医はこれまでの知識と経験を一言一言に込めて話す。そういう意味で、このカンファレンスは参加する病理医にとってはとてもタフなものとなる。このカンファレンスは病理医だけのとても濃密な場だ。

今度移った施設は大学病院なので、一般病院と違って病理医の数が多く、カンファレンスの時間を取ることができ、そこであれこれとディスカッションができる。病理医の共通言語である”病理総論”にもとづいた正しい病態を表現する用語を用いて、互いの意見を交換する。

こんなカンファレンスを、静かな地下の解剖室で病理医だけが集まって、延々と(およそ1時間)行う。同僚は皆、熱心な病理医で、その病理医だけの濃密な時間だ。病理医の少ない施設に長らくいたので、このようなカンファレンスは久しぶりで、とても嬉しかった。

最近は、病理解剖が減少傾向にあるので、余計に貴重な機会を逃さないよう、充実したカンファレンスを行なっていきたいと、熱心にディスカッションをしている同僚たちに混じって気持ちを新たにした。

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