ツバメが天井に巣を作ってしまったために閉鎖していた鎌倉駅の自動改札機1台が通ることができるようになった。
親ツバメがこの前とは反対方向の梁にとまっていて盛んにさえずっていた、あれ?と思って頭上を見上げたら、子ツバメと思しき小鳥が2、3羽、巣のあたりを飛んでいた。どうやら無事巣立ったようだ。今はもう、子ツバメたちの飛行訓練というところか。それにしても、さすがはツバメ、あんまり早く飛び回っていたので、写真を撮ることはできなかった。
昨晩、NHKテレビで”卒母”についての話があった。なんていうことはない、子供がある程度の歳になったら、独り立ちさせ、親も子供から離れる、というようなことで、人間誰しも同じような話に行き着く。そして、子を持つ親は誰しもがそのことであれやこれやと悩む。いつの時代も変わらないことだ。
ツバメにしても人間にしても、生まれたばかりに自立して生きていくことはできないので、生きる手助けをしてやる。それをどこまでやってやるかは、動物によって、そして人間であれば家庭によってそれぞれ異なる。昨晩の番組でも、卒母宣言をしたのは、頑張った末に大成功を収めた漫画家(西原理恵子)であり、経済的にも社会的にも恵まれた状態にあるからこそ、できること、言えること、がそここにのぞいていて、諸手を挙げてご意見に賛同できるような内容ではなかった。
家庭ごとに事情は異なるので、子育てにマニュアルなどない。親になってみたところで、自分のやっていることが子供にとって、もしくは自分にとって正しいのかどうかなんてわかりはしない。数日前の夕食どき、息子が「僕は、〇〇(妹)の実験台だったんだよね」と言っていた。どういうことかと聞いてみたら「僕にやらせてよかったことはやらせて、よくなかったことはやらせてこなかったでしょ?」とのこと。当たり前といえば当たり前のことだが、息子にとっては、自分が妹の前に立って進んできたという自負があるのだろう。親として、そういうことに気を配っていたかとおもうと、心もとない。子供には子供の思いがある。自分だってそうだったではないか、と思い起こす。そして、ある時母が、「なんにもわからなくて、(子育てなんて)もう夢中だったわよ」と言っていたのを思い出す。
ひとたび子供を持ったら、その時から親となる。たとえ、その子と血が繋がっていなくとも、血肉を分けて育てるのであればそれだけで親子だ。”卒母”したサイバラさんにしたところで、子供たちが自立するためであれば援助は惜しまないと言っていた。結局、親をやめることなんてできないということだ。
親子の関係、どうしようもないほど、深く、切っても切れない。
親はいつまでも親だし、子供はいつまでも子供だ。
日本は恵まれている