2017年12月6日(水)14時〜 岡山地方裁判所
最後の口頭弁論は、判決日決定と二人の意見陳述でした。
まず、原告浅田達雄さんの陳述を全文書き起こしたいと思います。
見事な文章です。記録と記憶に残る文章です。
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岡山地方裁判所第2民事部合議係 御中
原告 浅田達雄
私、原告浅田達雄は、結審にあたり3人の裁判官に最後の訴えをさせていただきます。
私は、2013年2月13日に岡山市から「岡山市介護給付費等不支給(却下)決定通知書」を受け取りました。常に介護が必要な私にとって、介護の打ち切りを告げるこの通知は、「死ね!」と言われたのと同じです。今後、どうなるのかと恐怖に襲われ、気持ちが不安定になり、半狂乱になってしまいました。
少し落ち着いて考えたことは、「私は、なにか間違ったことをしたのか?」、「介護保険を申請しなかったことが理由で処分されたが、支援法がどこに65歳になったら介護保険を『申請せよ』とかかれているのか?」、「介護保険は申請主義。岡山市が指摘した障害者自立支援法(以下支援法といいます)7条に介護保険優先規定があるにしても、それはあくまで私が介護保険を申請することが条件のはずだ」。
それなのに私の支援法による介護を打ち切ったのは、「岡山市は私に65歳以上は人間として、岡山市民として生きるな」と命じたに等しい。「介護保険の申請をしないこと」を理由に、年齢によって生きること否定されたのだと胸が苦しくなりました。
65歳になる私は、岡山市の処分で人間扱いされてないことを強く感じ、怒りと悲しみが、、からだ中からふつふつと湧いてきました。私のように介護を受けないと活きていけない市民をあたりまえの市民として支援することを憲法25条で定め、障害者基本法でや支援法を制定して福祉サービスが行われています。私は処分が出される前まで岡山市の福祉行政を全面的に頼りにしていました。福祉行政は、紙切れ一枚で私のような重度障害者の「命」をいつでも奪うことがことを私に思い知らせました。私は初めて行政が冷酷で人の道を外れたことを平気でやれることを知りました。こんな福祉行政が存在してもいいのかと狂おしいほど怒りがかけめぐりました。
仲間に相談したら「岡山市と闘うならば応援するよ」と応じてくれました。私は、岡山市が二度と福祉行政の権力で市民に「死ね」との処分をださせないために命がけで闘うことを決めました。
2013年9月19日に提訴して以来、私はこれまで20回の口頭弁論を経験しました。この中でわかってきたことは、
① 私を守ってくれるのは憲法25条、14条、13条からつくられた法律であること、最近では障害者の権利条約が障害者を「障害のある普通の人」「障害者のことは障害者抜きで決めるな」と定め、全世界で、私のような重度障害者が人間として生きていける社会のしくみをつくることを国連で定めました。日本も2014年1月20日に批准しました。私の訴えは間違っていないことが口頭弁論を重ねるごとに強くなってきました。
しかし
② 岡山市は、私の訴えに対し、「支援法に決まっているから処分は正しい」と主張を続けて、私の主張に耳を貸しません。岡山市の福祉行政の冷酷・非人道的とも言える弱い者いじめの姿勢は全然変わっていません。
ある学習会で名古屋の障害者は「岡山市は酷い市だ。浅田さんが介護保険を申請しないことで福祉サービスを切り、市内の障害者を恫喝した。こんな恫喝を行う岡山市の行政を変えないと岡山市の仲間は救われない。全力で浅田さんを支援する」と励ましてくれました。
③ 今回の口頭弁論にあたって被告である岡山市の準備書面14は、私の訴えは「失当」であると、裁判を受けさせないという主張をしています。「犯罪的な処分を後で修正したから問題ない」と、自らの犯罪的行為を隠し、私にとっては「死ね」と言われたのと同様の処分の結果、1ヶ月半に渡って福祉サービスをなんら行わなかったことにより、私にあたえた精神的なダメージと生活上の生活上の困難さを一切顧みない様は、人間の道に外れる行政処分を正当化するもので、ますます不信感を強くしました。
④ 生活の上では、介護保険の上限1万5千円だけ負担すればいいと思いがちでしょうが、そうではありません。毎月の介護保険に関する支払いは要介護5ですから小規模多機能ホーム(だんだん)に支払う介護料金2万9494円と訪問リハに7,000円近くを支払い、他にも在宅訪問医療を受けているので、居宅療養管理指導費として584円、また排尿器(スカットクリーン)とベッド柵のリース料は1,004円を支払わなければなりません。1万5千円を差し引いた額が3ヶ月後に返ってきます。しかし、2ヶ月に1回の年金から介護料金と自己負担額である食費、宿泊費を合わせると最大5万円近い金額を準備することは大変で、最初の3ヶ月は、事業所に支払いを待ってもらうこともありました。将来、24時間介護が必要になったときのことを考えると、とても不安になります。
⑤ 私の経験から学んだ名古屋市のある障害者は、65歳になっても介護保険を申請していません。しかし、福祉サービスは65歳以前と同様に支給されています。私の訴えが少しは仲間たちに役立っていると嬉しくなりました。
裁判官のみなさん、傍聴者のみなさん、そして、被告側のみなさん、私最後に訴えます。「私は、なにか間違ったことをしましたか?」私は自分の障害からくる身体の不自由さを一つ一つ克服し、歩けなかったことを杖を利用して歩けるように、さらに仲間とともに地域で生活することから、一人で自立した生活をすることなど、次々チャレンジしてきました。また、何とか仕事がしたいと必要な電動タイプライター、ワープロ、パソコンの技術を習得した活用し、自動車の運転免許取得など、家族とまわりの人の支えの中で、ちょっとした仕事につくことを実現するなど障害がもたらす困難を乗り越えてきました。しかし、今回の岡山市の処分は、私の努力だけではどうにもならない社会制度の矛盾を利用した障壁を行政権力がつくり、私の人間らしい生活を破壊しようとしたものです。そんなことが許されていいのでしょうか。
3人の裁判官の方は私の一日の生活を描いたDVDやNHKのハートネット「憲法と障害者」の番組を観ていただけたでしょうか。私の生きる様が十分描かれていました。
私のような重度障害者が人間らしく生きたいと願うのは、今の日本でもゆるされないことでしょうか。かつて、私の先輩障害者は「米喰い虫」「ごくつぶし」ついには「非国民」と罵られました。岡山市の処分はこうした罵りと同じことを行政の手でおこなったものです。
裁判官のみなさん、私のような人間が当たり前に生きるにふさわしい保障を不充分ながらしてくれていると信じています。支援法が憲法に照らして問題があるなら、また、岡山市の処分が憲法の理念とは外れた支援法の使い方をしているならば、ぜひ改めてほしいと訴えます。
今回の私の訴えで、現在の支援法にはいくつかの問題点があることが明らかになったと思います。この裁判では支援法の問題に対しても判断してくださることを心から願って私の陳述とさせていただきます。 以上
※画像は報告集会です。