「旅する巨人」佐野眞一著より
宮本常一氏は、山口県周防大島の出身である。
氏の父親は、無学な島の男だった。
「明治6年に生まれた長男の善十郎が宮本の父である。
その頃、宮本の家は極貧のどん底になった。
そのため善十郎はろくに小学校にもあげてもらえなかった」
善十郎氏は、フィジーに渡航し甘蔗栽培人もした。
なにもかも成功しなかった。そして傷ついて故郷に帰ってきた。
故郷は傷ついた善十郎氏を暖かく迎えてくれたという。
「その故郷をよくしていく以外、故郷に恩を返すことはできない」。
この善十郎氏が、故郷をあとにする宮本常一氏に送った十か条には、
当時の日本人が培っていた叡智が凝縮していた。
この十か条こそ、宮本常一氏の背骨ではないかと思う。
大正12年の話である。
少し長いが引用させていただこう。
第一条.汽車に乗ったら窓から外をよく見よ。他や畑に何が植えられているか、
育ちがよいか悪いか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草ぶきか、
そういうところをよく見よ。
駅へ着いたら人の乗り降りに注意せよ。そしてどういう服装をしているかに
気をつけよ。また駅の留意場にどういう荷が置かれているかをよく見よ。
そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くかそうでないかを
よくわかる。
第二条.村でも町でも新しく訪ねていったところは必ず高いところへ登って見よ。
そして、方向を知り、目立つものを見よ。
峠の上で見下ろすことがあったら、お宮やお寺や目につくものをまず見、
家のあり方や田畑の有り方を見、周囲の山を見ておけ。
そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへは必ず行って見ることだ。
高いところでよく見ておいたら道に迷うことはほとんどない。
※この後、第十条までつづくが、無学(かどうか)な善十郎がどのようにして
この知恵を得たか。
生活の知恵の継承があったはずだ。
この十か条こそ宮本常一氏のフィールドワークそのものだった。
宮本民俗学は、宮本家の世代継承の結実といえる。
第三条から第十条までは次回です。
宮本常一氏は、山口県周防大島の出身である。
氏の父親は、無学な島の男だった。
「明治6年に生まれた長男の善十郎が宮本の父である。
その頃、宮本の家は極貧のどん底になった。
そのため善十郎はろくに小学校にもあげてもらえなかった」
善十郎氏は、フィジーに渡航し甘蔗栽培人もした。
なにもかも成功しなかった。そして傷ついて故郷に帰ってきた。
故郷は傷ついた善十郎氏を暖かく迎えてくれたという。
「その故郷をよくしていく以外、故郷に恩を返すことはできない」。
この善十郎氏が、故郷をあとにする宮本常一氏に送った十か条には、
当時の日本人が培っていた叡智が凝縮していた。
この十か条こそ、宮本常一氏の背骨ではないかと思う。
大正12年の話である。
少し長いが引用させていただこう。
第一条.汽車に乗ったら窓から外をよく見よ。他や畑に何が植えられているか、
育ちがよいか悪いか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草ぶきか、
そういうところをよく見よ。
駅へ着いたら人の乗り降りに注意せよ。そしてどういう服装をしているかに
気をつけよ。また駅の留意場にどういう荷が置かれているかをよく見よ。
そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くかそうでないかを
よくわかる。
第二条.村でも町でも新しく訪ねていったところは必ず高いところへ登って見よ。
そして、方向を知り、目立つものを見よ。
峠の上で見下ろすことがあったら、お宮やお寺や目につくものをまず見、
家のあり方や田畑の有り方を見、周囲の山を見ておけ。
そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへは必ず行って見ることだ。
高いところでよく見ておいたら道に迷うことはほとんどない。
※この後、第十条までつづくが、無学(かどうか)な善十郎がどのようにして
この知恵を得たか。
生活の知恵の継承があったはずだ。
この十か条こそ宮本常一氏のフィールドワークそのものだった。
宮本民俗学は、宮本家の世代継承の結実といえる。
第三条から第十条までは次回です。