以下に全文を掲載します。
本人は、「ややユートピア的」という表現をしていますが、どこがユートピア的ですか。
単なる荒唐無稽な戯言ではないですか。
飲み屋や床屋談義ではなく、国会の中での発言ですぞ。
人間としての品性のかけらも感じない。
こんな人がいる限り、アメリカは51州目を拒否するはず(笑)。
彼の希望はさらに遠ざかった。
最低の発言。
追加:本人は真逆の理解をされたと言っている。しかし、言葉ひとつひとつの使い方は、今まで人種差別克服の歴史の中で、過去のものとしてきたことである。ゆえに文章を読んでみると、時代が逆行したように思える。その違和感は今を生きる人々には共通だと思う。どうしてこんな表現になるのだろう。
全文
どうしてこんなレベルの憲法上の問題でもありますけれど、ややユートピア的かもわかりませんけれども、例えば、日本がですよ、アメリカの第51番目の州になるということについてですね、例えばですよ、憲法上どのような問題があるのかないのか。例えばですね、そうするとですね、例えば集団的自衛権、安保条約、これまったく問題になりませんね。それから今、例えば、拉致問題ってありますけれど、拉致問題って恐らく起こってないでしょう。それからいわゆる国の借金問題についてでも、こういう行政監視の効かないような、ズタズタな状態には絶対なっていないと思うんですね。
これはですね、例えば日本がなくなることじゃなくて、例えばアメリカの制度によれば、人口比において下院議員の数が決まるんですね。比例して。それとですね、恐らく日本州というような、最大の下院議員選出州を持つと思うんです、数でね。上院は、州1個で2人。日本をいくつかの州に分けるとすると、十数人の上院議員もできるとなると、これはですね、世界の中の日本というけれども、日本州の出身が、アメリカの大統領になるという可能性が出てくるようになるんですよ。ということは、世界の中心で行動できる日本という、まあ、その時は日本とは言わないんですけれども、あり得るということなんですね。
バカみたいな話だと思われるかもしれないかもしれませんが、例えば今、アメリカは黒人が大統領になっているんですよ。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ。はっきり言って。リンカーンが奴隷解放をやったと。でも、公民権も何もない。マーティン・ルーサー・キング(牧師)が出て、公民権運動の中で公民権が与えられた。でもですね、まさか、アメリカの建国、当初の時代に、黒人・奴隷がアメリカの大統領になるとは考えもしない。これだけのですね、ダイナミックの変革をしていく国なんです。
そういう観点から、例えば日本がですね、そういうことについて、憲法上の問題があるのかないのか、どういうことかとお聞きしたい。