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このブログでは、思い出したように母の介護のことを書いています。
認知症病棟に入院して1年半を過ぎました。
今も、歩行器を使って歩いています。
一時は車いす生活でしたが、股関節骨折から自然治癒しました。
聞いたことがない話です。
一時の幻聴、幻覚、妄想症状は軽減されたように思います。
認知症自体は、少しづつ進行しているようですが、まずまずといっていいかもしれません。
それでも、2日に一度は訪問するのですが、時によって気分というか、こころの有り様が違います。
帰宅願望は弱くなっていると感じています。
1年前には「連れて帰って!」と懇願され続け苦しい思いをしました。
認知症が進むと人格が変わることも多いと言われます。
そのような部分もあります。
例えば、被害妄想がありますが、病前にはありませんでした。
もちろん、幻覚、幻聴もなかったのですが、今思えば、「あれは幻聴だったのか」ということがあります。
隣の家から「お看経(おかんき)=読経」が一晩中聞こえたというのです。
私には聞こえていませんから、幻聴だと思います。
そうだとしたら、母の認知症発症は15年以上前になります。
もちろん、私は否定しますから、母にとっては苦しいことだったと思います。
ただ、病気が進むと、今まで母を苦しめた「偏頭痛」「両足の痛み」「逆流性食道炎」の症状は緩和されたように見えます。
上記症状の原因が脳にあるといえるのかどうかわかりませんが、臨床的にはなくなっています。
介護については、BEING とDOINGという考えがあるそうです。
BEINGは、寄り添うという言葉に置き換えることができるかもしれません。
訪問し一緒に過ごし話を聞き、うなづいて、母が好きな果物やお菓子を一緒に食べて、手足のマッサージをする。
髪に櫛を入れ、時に散髪し、爪を切り、手当をする。
そのように訪問時を過ごします。
私にとっては、BEINGと言っていいかもしれません。
できるといえば、これだけです。
最近読んだ論考に、『生・死・認知症に関する考察 ——認知症を患う母との関わりを通して』—— 坂田昌彦にも書かれていました。
ネットを検索中に見つけた論考です。
私の体験と重なる部分が多く、読み進めることが苦しいほどでした。
もう少しきちんと読ませていただいてから、思いを書いてみたいと思います。
興味がございましたら、『生・死・認知症に関する考察 ——認知症を患う母との関わりを通して』—— 坂田昌彦をお読みください。
お読みいただきありがとうございました。