
人は 思い通りに行かない人生と人間関係とともに 生きていく。
私もその通りですね。
悩みや苦しみを人生のエキスだと思える人は 人生の達人でしょう。
なかなか難しいことです。
日々を過ごす中で 雨が上がるときに山際から雲が すーと上がるような 爽やかな時間を迎えることがあります。
そのようなときには必ずといっていいほど 対話の時間があります。
同世代の人々と話し合うときには 同時代を生きてきたという連帯感のようなものを感じます。
安堵感もあります。
世代を隔てるほどに お互いの共通するもの 共感するものが少なくなっていきます。
会話の糸口を見つけるのには 少し修練がいるかもしれません。
心のなかもステップアップすることが必要でしょう。
しかし その努力に比して 与えられる実りはとても豊かなものだと思います。
多くの仲間と共通の思いを持って 何事かを進める、達成することは大変な喜びです。
例えば サッカーのチームが勝ち進み 結果を残こすことができれば サポートする人々とともに 至福の時間を過ごすことができるでしょう。
日本チームはその機会を逸しましたが 4チームが極上の至福を味あう権利を残しています。
このような場合は一国の構成員すべて(おおげさ)が強い連帯感に包まれるのですからすごい現象となります。
遠い昔、ローマに滞在していた時に ワールドカップのなにものかも知らない私達の前で イタリアチームの勝利に 街が歓喜に包まれ 車はクラクションを鳴らす様に心底驚きました。
同行のカメラマンは職業柄、街に飛び出し そのまま 拉致されるように車の載せられ街を走り回り 朝まで帰らなかったことを思い出しました。
日本サッカーにこのような至福の時が訪れるのはまだ先なようです。
国民的高揚感を日本人が初めて味わったのは 戦争の勝利においてです。
日清日露戦争ですが、とりわけ日露戦争の勝利は 歴史的国民的快挙だったようです。
凱旋した兵士は国の津津浦浦に帰っていくわけですから 村々では大歓迎会が開かれました。
例えれば、五輪チームが銀座でパレードをするような感動が日本全国で繰り広げられたわけです。
今でもその時の名残の風景があります。
岡山県北の新庄村という旧宿場町には 「がいせん桜」という美しい桜並木がありますが、「がいせん」はむろん凱旋です。日露戦争に勝利した兵士を迎えるために桜を植えたのです。
村民の喜びの大きさが偲ばれます。
この高揚感は 大きな副作用を起こしてしまいます。大きな勝利は大きな敗北へとつながっていくのです。
一時期、日本は滅んだといっていいでしょう。
戦争とスポーツを同列に語るのは避けなければなりませんが、今大会のスペインの敗退にかつての日本を重ねてしまいました。
戦後、私たちの先輩は大反省をしました。
何を間違えて国を自ら滅ぼしたのか。
この反省をもとに日本人は再生の道を進んだのだと思います。
その日々も遠い過去になろうとしています。
良くないことだと思います。
過ぎたことにしていいことではありません。
過ぎ去ってはいるが知っておくべきこと。
伝承すること、伝承されるべきことがあります。
私はこの半年間にその意義を少し学んだような気がします。
書物やメディアを通して、知っておくべき過去のことを知ることは大切です。
しかし、もし後世に伝えるべく事柄を 体験した人々から直接聴くことができれば
それが最も力のある、価値のある伝承だと思います。
私たちが伝えてもらわなくてはならない最大のことといえば、やはり戦争です。
戦争下を生きた人々はすでに少数になっています。
私の親のように生きてはいても記憶が定かでない人も百万人単位でおられます。
数年前まで家庭訪問の中で聞き取っていた戦争の話も 今では施設で聞かざるを得ない状況です。
本当に残された時間が少なくなっています。
「全世代交流」という言葉を掲げたのは、このような切迫感があるからです。
幸い、ビッグイシュー津島店で知り合うことができた89歳の女性からはジモトの貴重な話をお聞きすることができました。
でもその女性の友人の方の多くは施設に入るか亡くなっておられます。
伝承されるべき話を聞き取ることは砂から金をすくうが如く困難なことになっています。
兵士となって海外の戦地に行った方々は若い人でも90歳を過ぎています。
私はインパール作戦に参加した方の話を3年前にお聞きしたのが最後です。
以後、戦場の話は聴いていません。
ほとんどの方は戦場の様子について黙されたまま亡くなられました。
語ることの出来ない話であることとともに 理解されることのない話だとも思われたと推察されます。
これらのことは、今では書物や資料を読むことでしか知ることができなくなってしまいました。
私の全世代交流への願いの理由は 聴いておくべきこと 伝えなければならないことがあるからです。
これは世代間交流がなければ 伝承されないことのです。
私自身が聴いてきた話を若い人に伝えることにも意味があると思っています。
聴いていただく人を見つける交流でもあるのです。
私もその通りですね。
悩みや苦しみを人生のエキスだと思える人は 人生の達人でしょう。
なかなか難しいことです。
日々を過ごす中で 雨が上がるときに山際から雲が すーと上がるような 爽やかな時間を迎えることがあります。
そのようなときには必ずといっていいほど 対話の時間があります。
同世代の人々と話し合うときには 同時代を生きてきたという連帯感のようなものを感じます。
安堵感もあります。
世代を隔てるほどに お互いの共通するもの 共感するものが少なくなっていきます。
会話の糸口を見つけるのには 少し修練がいるかもしれません。
心のなかもステップアップすることが必要でしょう。
しかし その努力に比して 与えられる実りはとても豊かなものだと思います。
多くの仲間と共通の思いを持って 何事かを進める、達成することは大変な喜びです。
例えば サッカーのチームが勝ち進み 結果を残こすことができれば サポートする人々とともに 至福の時間を過ごすことができるでしょう。
日本チームはその機会を逸しましたが 4チームが極上の至福を味あう権利を残しています。
このような場合は一国の構成員すべて(おおげさ)が強い連帯感に包まれるのですからすごい現象となります。
遠い昔、ローマに滞在していた時に ワールドカップのなにものかも知らない私達の前で イタリアチームの勝利に 街が歓喜に包まれ 車はクラクションを鳴らす様に心底驚きました。
同行のカメラマンは職業柄、街に飛び出し そのまま 拉致されるように車の載せられ街を走り回り 朝まで帰らなかったことを思い出しました。
日本サッカーにこのような至福の時が訪れるのはまだ先なようです。
国民的高揚感を日本人が初めて味わったのは 戦争の勝利においてです。
日清日露戦争ですが、とりわけ日露戦争の勝利は 歴史的国民的快挙だったようです。
凱旋した兵士は国の津津浦浦に帰っていくわけですから 村々では大歓迎会が開かれました。
例えれば、五輪チームが銀座でパレードをするような感動が日本全国で繰り広げられたわけです。
今でもその時の名残の風景があります。
岡山県北の新庄村という旧宿場町には 「がいせん桜」という美しい桜並木がありますが、「がいせん」はむろん凱旋です。日露戦争に勝利した兵士を迎えるために桜を植えたのです。
村民の喜びの大きさが偲ばれます。
この高揚感は 大きな副作用を起こしてしまいます。大きな勝利は大きな敗北へとつながっていくのです。
一時期、日本は滅んだといっていいでしょう。
戦争とスポーツを同列に語るのは避けなければなりませんが、今大会のスペインの敗退にかつての日本を重ねてしまいました。
戦後、私たちの先輩は大反省をしました。
何を間違えて国を自ら滅ぼしたのか。
この反省をもとに日本人は再生の道を進んだのだと思います。
その日々も遠い過去になろうとしています。
良くないことだと思います。
過ぎたことにしていいことではありません。
過ぎ去ってはいるが知っておくべきこと。
伝承すること、伝承されるべきことがあります。
私はこの半年間にその意義を少し学んだような気がします。
書物やメディアを通して、知っておくべき過去のことを知ることは大切です。
しかし、もし後世に伝えるべく事柄を 体験した人々から直接聴くことができれば
それが最も力のある、価値のある伝承だと思います。
私たちが伝えてもらわなくてはならない最大のことといえば、やはり戦争です。
戦争下を生きた人々はすでに少数になっています。
私の親のように生きてはいても記憶が定かでない人も百万人単位でおられます。
数年前まで家庭訪問の中で聞き取っていた戦争の話も 今では施設で聞かざるを得ない状況です。
本当に残された時間が少なくなっています。
「全世代交流」という言葉を掲げたのは、このような切迫感があるからです。
幸い、ビッグイシュー津島店で知り合うことができた89歳の女性からはジモトの貴重な話をお聞きすることができました。
でもその女性の友人の方の多くは施設に入るか亡くなっておられます。
伝承されるべき話を聞き取ることは砂から金をすくうが如く困難なことになっています。
兵士となって海外の戦地に行った方々は若い人でも90歳を過ぎています。
私はインパール作戦に参加した方の話を3年前にお聞きしたのが最後です。
以後、戦場の話は聴いていません。
ほとんどの方は戦場の様子について黙されたまま亡くなられました。
語ることの出来ない話であることとともに 理解されることのない話だとも思われたと推察されます。
これらのことは、今では書物や資料を読むことでしか知ることができなくなってしまいました。
私の全世代交流への願いの理由は 聴いておくべきこと 伝えなければならないことがあるからです。
これは世代間交流がなければ 伝承されないことのです。
私自身が聴いてきた話を若い人に伝えることにも意味があると思っています。
聴いていただく人を見つける交流でもあるのです。