岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

朝撮り。岡山県総合グラウンドの紹介です。

2018-05-24 10:45:23 | 岡山

岡山県総合グラウンドは、岡山市の中心地にあります。

新幹線で岡山駅に到着する直前(新大阪方面より)に、右手に見える森です。

スポーツのメッカであり、ファジアーノ岡山(J2),シーガルズ(女子バレー)のホームです。

ここは、かつて旧日本陸軍の練兵場でした。そのため戦後に岡山県に払い下げられ県民に開放されました。

この辺りは旭川(岡山3大河川)が岡山平野に流れ込む地点であり、現在のように堤防がない時代には細い川が無数に流れていたようです。

縄文・弥生時代から人が住んでいました。

この池の下には遺跡があります。公園全域が遺跡です(津島遺跡)。

スポーツ公園として整備する過程で遺跡の解明が進みました。

下の記念碑には、公園を創造した人々の業績が書かれています。

昭和31年に岡山県建築士会会長高原一秀氏に依頼して全体構想。森の植樹を開始、

日本建築学会会長佐藤武夫博士に塔と付帯設備の設計を依頼、

記念像を新制作協会会員山内杜夫氏、鋳造家伊藤忠雄氏が制作したとあります。

子どもの頃、この工事を見ていました。

スポーツの塔に落雷があり、欠けていたこともありました。

国民体育大会(昭和37年)開催のために整備されました。

津島遺跡です。スタジアムの前にあります。弥生時代の掘立柱建物が復元されています。

近くに水田も復元されています。

当時植樹された樹々が大きな森になっています。夏も緑陰は涼しいですね。

昭和30年代の建築物は少ないのですが、野球場は当時のままです。

↓2度目の国体を観覧された天皇の歌碑があります。

日時計も半世紀前のママだと思います。

↓7時過ぎをさしています。ほぼあっています。

復元された倉庫です。手前の杭は水辺に打たれていました。

水路の脇にある微高地に住居がありました。

倉庫は高床になっており、小動物の侵入除けも付いていました。

↓竪穴住居です。壁をつければ、最近まであった農家の建物になりますね。

この辺りに昔から住んでいた村人の末裔である私は、この建物の住民の遠い子孫であるのかもしれません。

 


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