「改正介護保険法と日本の介護保障」ー国際比較の視点で
考えるー「自治総研2006年11月号」斉藤弥生
をテキストにして
今夜は、第4章 同居家族と介護サービスについて。
「介護保険2005年改正」以後、介護サービスが制限されたという
要介護・要支援者は多い。
このブログでたびたび書いているように、認定結果で、利用者の生活に
大幅な変更を余儀なくされるわけだから、これは利用者の大変な
怒りをかっている。最近も新たに数件発生した。
そのたびに、現場は慌てふためいて対策に走り回る。
ほとんどは、区分変更申請をすることになる。
その場合は、ほぼ認定が重くなる。
この結果に関係者がほっとしながらも、
なぜそんなに認定が変わるのかと、ますます認定制度に不信感を
持つことになる。
こんな現状を関係者は知っているが、表には出ない。
現場では、この認定制度への信頼感がなくなってきている。
特に、サービスの利用制限と直結するようになってから、その傾向が
強い。
さて、第4章 同居家族と介護サービス
この介護サービスとは、訪問介護サービスのことである。
訪問介護には回数制限がある。要支援1は週1~2回。
要支援2は、1~3回程度受けられるのが現状だ。
しかし、それでは生活を維持できないというと、
維持できない人は要支援者にはいないはずだとなる。
しかし、認定制度に不備があれば、生活に維持ができないと
いう人がいる可能性が高くなる。
一律に回数制限をすることは、適切ではない。
(実は厚生労働省は、軽度者にベッド貸与は必要ないと
したが施行1年後に、前言を翻して、例外を認めたという
失策がある)
また、訪問介護では、同居家族がいると、家事援助が制限される。
このあたりを、斉藤論文より引用する。
引用:
介護保険に関する厚生労働省による通知では「介護保険の適用と
ならない家事援助として、
一つめに、直接本人の日常生活の援助に属さないと判断される行為、
二つめは、主として家族の利便に供する行為、
三つめに家族が行うことが適当であると判断される行為を挙げている。
<中略>
各ケースの複雑な事情については現場の判断に任せるしかなく、
現場では例外として対応してきた。
しかし、改正介護保険法以降は例外の適用がより制限されるようになった。
※その通りです。まず事業者の自己規制がある。
もし、自らの裁量により広範囲に訪問介護を適用していた場合に、
監査で指摘され、給付費を返却しなくなることが発生する。
そのようのことが現実にあった。
となれば、事業者の自己規制が始まることは当然だ。
事業者は、利用者に対して「それはできません」を連発するようになる。
そのうち、「なにをやってくれる」のだという利用者の怒りになる。
引用:
しかし、介護保険制度の理念は、家庭環境に関係なく、介護サービスを
利用できるところにあったはずである。財源の半分は公費が投入されて
いるとはいえ、サービスについて利用者を限定することは、
契約を原則とする保険の考え方にそぐわない。
家族と同居する要介護者も、同じ基準で保険料も支払っている。
介護保険法4条2項では「公平な負担」を謳っているが、
同居という理由でサービス利用に制限されるの不公平である。
もし受けられるサービスに差が生じるのであれば、家族と同居する
要介護者の保険料は減額されるべきである。
(しかしそうなれば、制度の存続に影響しうる上、家庭内の女性に
介護負担が押し付けられるという状況に時代が逆戻りしてしまう。)
日本の現状を冷静にみれば、同居家族は二重に負担をしている。
同居家族は少なからず介護の一部を無償で担っている。
その上、同居という理由でサービスを制限されるのである。
これでは家庭事情がサービス利用に大きく反映されていた措置制度の
時と同じ構図になってしまう。
※介護保険事業の関係者は、うすうすこのことを感じていると思う。
保険料は同じだけ払って、利用できないことはおかしくないか。
他の保険制度でこのような齟齬は起こりにくい。
保険料は個人単位で払っている。家族単位ではない。
介護保険は「脱家族化」=「社会化」を理念としている。
しかし、上記の介護サービス内容は、「家族」を重要な
無償サービス提供者にしている。
ここで、厚生労働省の姑息さを書いておこう。
厚生労働省は、介護保険の介護サービスで支援できない部分は
「地域」の力で支援していくべきだという。
この「地域支援」は、現実的には「家族」のことになってしまう。
(社会資源が豊富にある地域を私は知らない)。
「家族」を介護支援の中心からはずす、といっている以上、
建前では家族にたよるわけにはいかない。
そこで「地域支援」ということばを利用する。
もちろん「地域」の中身は家族にとても近い。
これを詭弁という。
考えるー「自治総研2006年11月号」斉藤弥生
をテキストにして
今夜は、第4章 同居家族と介護サービスについて。
「介護保険2005年改正」以後、介護サービスが制限されたという
要介護・要支援者は多い。
このブログでたびたび書いているように、認定結果で、利用者の生活に
大幅な変更を余儀なくされるわけだから、これは利用者の大変な
怒りをかっている。最近も新たに数件発生した。
そのたびに、現場は慌てふためいて対策に走り回る。
ほとんどは、区分変更申請をすることになる。
その場合は、ほぼ認定が重くなる。
この結果に関係者がほっとしながらも、
なぜそんなに認定が変わるのかと、ますます認定制度に不信感を
持つことになる。
こんな現状を関係者は知っているが、表には出ない。
現場では、この認定制度への信頼感がなくなってきている。
特に、サービスの利用制限と直結するようになってから、その傾向が
強い。
さて、第4章 同居家族と介護サービス
この介護サービスとは、訪問介護サービスのことである。
訪問介護には回数制限がある。要支援1は週1~2回。
要支援2は、1~3回程度受けられるのが現状だ。
しかし、それでは生活を維持できないというと、
維持できない人は要支援者にはいないはずだとなる。
しかし、認定制度に不備があれば、生活に維持ができないと
いう人がいる可能性が高くなる。
一律に回数制限をすることは、適切ではない。
(実は厚生労働省は、軽度者にベッド貸与は必要ないと
したが施行1年後に、前言を翻して、例外を認めたという
失策がある)
また、訪問介護では、同居家族がいると、家事援助が制限される。
このあたりを、斉藤論文より引用する。
引用:
介護保険に関する厚生労働省による通知では「介護保険の適用と
ならない家事援助として、
一つめに、直接本人の日常生活の援助に属さないと判断される行為、
二つめは、主として家族の利便に供する行為、
三つめに家族が行うことが適当であると判断される行為を挙げている。
<中略>
各ケースの複雑な事情については現場の判断に任せるしかなく、
現場では例外として対応してきた。
しかし、改正介護保険法以降は例外の適用がより制限されるようになった。
※その通りです。まず事業者の自己規制がある。
もし、自らの裁量により広範囲に訪問介護を適用していた場合に、
監査で指摘され、給付費を返却しなくなることが発生する。
そのようのことが現実にあった。
となれば、事業者の自己規制が始まることは当然だ。
事業者は、利用者に対して「それはできません」を連発するようになる。
そのうち、「なにをやってくれる」のだという利用者の怒りになる。
引用:
しかし、介護保険制度の理念は、家庭環境に関係なく、介護サービスを
利用できるところにあったはずである。財源の半分は公費が投入されて
いるとはいえ、サービスについて利用者を限定することは、
契約を原則とする保険の考え方にそぐわない。
家族と同居する要介護者も、同じ基準で保険料も支払っている。
介護保険法4条2項では「公平な負担」を謳っているが、
同居という理由でサービス利用に制限されるの不公平である。
もし受けられるサービスに差が生じるのであれば、家族と同居する
要介護者の保険料は減額されるべきである。
(しかしそうなれば、制度の存続に影響しうる上、家庭内の女性に
介護負担が押し付けられるという状況に時代が逆戻りしてしまう。)
日本の現状を冷静にみれば、同居家族は二重に負担をしている。
同居家族は少なからず介護の一部を無償で担っている。
その上、同居という理由でサービスを制限されるのである。
これでは家庭事情がサービス利用に大きく反映されていた措置制度の
時と同じ構図になってしまう。
※介護保険事業の関係者は、うすうすこのことを感じていると思う。
保険料は同じだけ払って、利用できないことはおかしくないか。
他の保険制度でこのような齟齬は起こりにくい。
保険料は個人単位で払っている。家族単位ではない。
介護保険は「脱家族化」=「社会化」を理念としている。
しかし、上記の介護サービス内容は、「家族」を重要な
無償サービス提供者にしている。
ここで、厚生労働省の姑息さを書いておこう。
厚生労働省は、介護保険の介護サービスで支援できない部分は
「地域」の力で支援していくべきだという。
この「地域支援」は、現実的には「家族」のことになってしまう。
(社会資源が豊富にある地域を私は知らない)。
「家族」を介護支援の中心からはずす、といっている以上、
建前では家族にたよるわけにはいかない。
そこで「地域支援」ということばを利用する。
もちろん「地域」の中身は家族にとても近い。
これを詭弁という。