ネットでは「認知症」という病名は批判されていることが多い
ようだ。いくつかのブログを拝見したが、私にはpukiwikiさん
の意見=「認知」という言葉が何らかの症状なり病状を意味
するという誤解を与える=が新鮮だった。
わたしの推測では、病名を考える過程で、認知障害や認知
失調などの言葉もメインの候補に上がっていただろうが、
障害や失調という言葉が今の時代に合わないと判断したの
だと思う。
そして、障害や失調を削除した結果、「認知」が残った。
私もそのような考えに抵抗はない。しかし、「認知」という
言葉に、病名を意味するという誤解が生じるという意見には
どのように考えるか。
うーん。当初、それは杞憂ではないか、とも考えたが、
「認知症」という病名が使われはじめると、今や日本国内で
250万人にもおよぶ当事者がいらっしゃるし、家族や関係者
を含めれば、国民の5人に1人は、この病名を身近なことと
考えているといってよいだろう。
このことから、「認知」という言葉の意味自体が変容する
可能性は「ある」、と判断されるのは至極当然である。
ここで、病名についての私自身の考えは、
「社会的な区別であり差別でもある」という視点を忘れては
始まらない、というものだ。
病名が、症状を表すべきということも簡単には肯定できない。
病名が、当事者にとって、無益だけでなく、有害になるという
ことは歴史をみればあきらかである。
極論をいえば、病名は当事者と関係者にわかればよいことで、
社会的にラベリングされる可能性の危惧は、「認知」という
言葉と同様に、今までにあったと思われる。
例えば、「致死的家族不眠症」、「強皮症」、「早老病」と
いう病名から、どんな病気が想像されるのだろうか。
私にはマイナスのイメージしかない。こんな病気になった上、
病名に落ち込み、他人には誤解される。
本来、ひとつの苦しみが二重にも3重にもなるということだ。
逆説的ではあるが、パーキンソン病やシャイドレーガー症候群
という、言ってみれば一目では意味不明なことに逆に意味が
あるという考えを持っている。
わたしは、アルツハイマー症という病名にも肯定的だったが、
人気なかったなー。
ようだ。いくつかのブログを拝見したが、私にはpukiwikiさん
の意見=「認知」という言葉が何らかの症状なり病状を意味
するという誤解を与える=が新鮮だった。
わたしの推測では、病名を考える過程で、認知障害や認知
失調などの言葉もメインの候補に上がっていただろうが、
障害や失調という言葉が今の時代に合わないと判断したの
だと思う。
そして、障害や失調を削除した結果、「認知」が残った。
私もそのような考えに抵抗はない。しかし、「認知」という
言葉に、病名を意味するという誤解が生じるという意見には
どのように考えるか。
うーん。当初、それは杞憂ではないか、とも考えたが、
「認知症」という病名が使われはじめると、今や日本国内で
250万人にもおよぶ当事者がいらっしゃるし、家族や関係者
を含めれば、国民の5人に1人は、この病名を身近なことと
考えているといってよいだろう。
このことから、「認知」という言葉の意味自体が変容する
可能性は「ある」、と判断されるのは至極当然である。
ここで、病名についての私自身の考えは、
「社会的な区別であり差別でもある」という視点を忘れては
始まらない、というものだ。
病名が、症状を表すべきということも簡単には肯定できない。
病名が、当事者にとって、無益だけでなく、有害になるという
ことは歴史をみればあきらかである。
極論をいえば、病名は当事者と関係者にわかればよいことで、
社会的にラベリングされる可能性の危惧は、「認知」という
言葉と同様に、今までにあったと思われる。
例えば、「致死的家族不眠症」、「強皮症」、「早老病」と
いう病名から、どんな病気が想像されるのだろうか。
私にはマイナスのイメージしかない。こんな病気になった上、
病名に落ち込み、他人には誤解される。
本来、ひとつの苦しみが二重にも3重にもなるということだ。
逆説的ではあるが、パーキンソン病やシャイドレーガー症候群
という、言ってみれば一目では意味不明なことに逆に意味が
あるという考えを持っている。
わたしは、アルツハイマー症という病名にも肯定的だったが、
人気なかったなー。
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