岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

裁判員制度が始まってから3年経ちました。

2012-06-04 19:39:09 | 社会福祉士

幸いかどうか、まだ裁判員の経験はありません。
なかには2度目という人もいるそうです。
こうなると運がいいとはいえませんね。

裁判員を経験してよかったという意見もマスメディアからは聞こえてきました。
新たな体験から学ぶことは多いのは確かです。

私は当初、この制度を危惧していました。
その思いは多少和らぎました。
それはこの制度の長所を評価するからです。

それは裁判に市民が参加する。
人ごとにしないという点です。
専門家任せにしないことです。

私は市民に死刑判決をさせることには反対です。
死刑制度にも反対ですから当然のことですが、短時間の審議で結審し判決を行うことで冤罪が起こりやすくなるとも考えるのです。
ただ、死刑を宣告するかどうかは事前にはわかりませんから、可能性があるかどうかで対象裁判にするかどうかの判断になります。

裁判員が判決に加わるのは第1審のみですから、控訴審でより時間をかけて裁判官が判断すればいいという意見もあります。
しかし、裁判員制度下では第1審の判決の重みが増しているようです。
裁判員の責任はより重くなるわけです。

一方、貴重な体験には共有する機会を与えられません。
守秘義務という厚い壁があるのです。
これは何らかの手段、方法を講じることで、国民の共有財産することが必要です。

もう一点は量刑まで裁判員が関わるということでは、刑務所の処遇、待遇についてはもっと明らかになる必要があるということです。
刑務所に服役することがどのようなことなのか、知らなくては量刑の判断はできないはずです。
また、死刑の手段についても、絞首刑の継続についてもどう思うのか。深く考える必要があります。
死刑制度を認めている日本の法律ですから死刑執行は現実です。
現実を直視した上での判決でなければなりません。

犯罪を犯したからといって、人権がなくなるわけではないのです。

被害者の人権が尊重される方向に少しづつ進んでいるように思います。
そして、加害者にも守られる人権はあります。
被害者の人権が尊重されれば、加害者の人権は軽視されるという関係ではないはずです。

以上のような思いを持って、裁判員になって裁判に真剣に向かい合った人びとの声を詳しく知りたいと思います。

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