現在、ビッグイシュー津島販売所がある付近に「若松園」という施設がありました。
小学校の同級生にその施設で暮らしている少年がいました。
「若松園」には銭湯が併設しており、銭湯が好きだった私たちはよく入りに行っていました。
その同級生とも一緒に入った思い出があります。
やがて、その「若松園」は私の視界から消えてしまいました。
後から知ったことですが、昭和57年に岡山市中区に転居していました。
私がまだ岡山にいた高校時代にも津島に「若松園」はあったのです高校の通学路からは外れていました。
そのためかまったく記憶にないのです。
この記憶の欠落というのは様々な場面で起こっているようです。
「若松園」は、今では「社会福祉法人備作恵済会若松園」という名称です。
実は、「備作恵済会」という組織は、岡山の社会福祉の歴史上、重要な位置を占めます。
このことが理解できたのは、岡山に戻って「岡山の社会福祉史」を調べてからです。
明治30年、「備作恵済会」という名称の組織ができました。
「本会の目的を感化、育児、免囚保護の3事業とし、広く県民有志の協賛を得て」と若松園のホームページにあります。
3事業ともに、現在まで続いています。
「感化」 岡山県立成徳学校
「育児」 社会福祉法人備作恵済会若松園
「免囚保護」 財団法人備作恵済古松園
※用語が現在では適切ではないかもしれませんが歴史的用語として使用します。
今、私は自身の「記憶」をたどる旅をしています。
「若松園」は小学校時代まで私の記憶にしっかり刻まれています。
しかし、中学生や高校生になるとまったく記憶から欠落しています。
現実に存在し続けた建物や人々が私の風景から消えているのです。
人の記憶とは、このようにまことに頼りないものです。
私の潜在意識が記憶を選別しているのかしれません。
当時の中学、高校の教育現場では「社会福祉」は語られていなかったように思います。
少なくとも私の頭には入ってきていません。
社会福祉施設がどのような意味をもっていたかも教えてもらえていません。
現在の教育ではボランティア教育もあるようですから、見える街の風景も違うのかもしれません。
しかし、ビッグイシュー販売所から眺める風景の中に、人々の心の中の偏見や差別がみえることがあります。
「若松園」の戦後の風景が、若松園のホームページに掲載されていました。
転載させていただきます。
上の写真が昭和21年撮影です。北側から撮影されています。
下の写真は昭和26年撮影です。南側から写しています。背景に半田山が映っています。
手前は練兵場跡ということになります。市民が畑にしていたことがわかります。
同じ場所の現在の写真が冒頭の写真です。
私たちは視覚的にも歴史を失っていることがわかります。
過ぎ去ったことは風景も記憶もなくなってしまうことを「仕方がない」というのなら、私たちのアイデンティティというものが
とても薄っぺらなもののように思います。
私たち自身は歴史的存在です。
その歴史に真摯に向き合い掘り下げていくことこそ重要だと思います。
差別や偏見で濁りやすい私たちの目です。
こころしたいと思います。
小学校の同級生にその施設で暮らしている少年がいました。
「若松園」には銭湯が併設しており、銭湯が好きだった私たちはよく入りに行っていました。
その同級生とも一緒に入った思い出があります。
やがて、その「若松園」は私の視界から消えてしまいました。
後から知ったことですが、昭和57年に岡山市中区に転居していました。
私がまだ岡山にいた高校時代にも津島に「若松園」はあったのです高校の通学路からは外れていました。
そのためかまったく記憶にないのです。
この記憶の欠落というのは様々な場面で起こっているようです。
「若松園」は、今では「社会福祉法人備作恵済会若松園」という名称です。
実は、「備作恵済会」という組織は、岡山の社会福祉の歴史上、重要な位置を占めます。
このことが理解できたのは、岡山に戻って「岡山の社会福祉史」を調べてからです。
明治30年、「備作恵済会」という名称の組織ができました。
「本会の目的を感化、育児、免囚保護の3事業とし、広く県民有志の協賛を得て」と若松園のホームページにあります。
3事業ともに、現在まで続いています。
「感化」 岡山県立成徳学校
「育児」 社会福祉法人備作恵済会若松園
「免囚保護」 財団法人備作恵済古松園
※用語が現在では適切ではないかもしれませんが歴史的用語として使用します。
今、私は自身の「記憶」をたどる旅をしています。
「若松園」は小学校時代まで私の記憶にしっかり刻まれています。
しかし、中学生や高校生になるとまったく記憶から欠落しています。
現実に存在し続けた建物や人々が私の風景から消えているのです。
人の記憶とは、このようにまことに頼りないものです。
私の潜在意識が記憶を選別しているのかしれません。
当時の中学、高校の教育現場では「社会福祉」は語られていなかったように思います。
少なくとも私の頭には入ってきていません。
社会福祉施設がどのような意味をもっていたかも教えてもらえていません。
現在の教育ではボランティア教育もあるようですから、見える街の風景も違うのかもしれません。
しかし、ビッグイシュー販売所から眺める風景の中に、人々の心の中の偏見や差別がみえることがあります。
「若松園」の戦後の風景が、若松園のホームページに掲載されていました。
転載させていただきます。
上の写真が昭和21年撮影です。北側から撮影されています。
下の写真は昭和26年撮影です。南側から写しています。背景に半田山が映っています。
手前は練兵場跡ということになります。市民が畑にしていたことがわかります。
同じ場所の現在の写真が冒頭の写真です。
私たちは視覚的にも歴史を失っていることがわかります。
過ぎ去ったことは風景も記憶もなくなってしまうことを「仕方がない」というのなら、私たちのアイデンティティというものが
とても薄っぺらなもののように思います。
私たち自身は歴史的存在です。
その歴史に真摯に向き合い掘り下げていくことこそ重要だと思います。
差別や偏見で濁りやすい私たちの目です。
こころしたいと思います。