岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

ハンセン病への取り組み(登山路のオリエンテーリング編=2700字)

2008-07-26 06:07:40 | ハンセン病
 
ハンセン病という大山脈の小さな峰にでも登れないかと思案が続いている。
何冊かの本を読んでみての実感は、小さな峰でも麓から見れば遠い雲の中にあるように思える。
もちろん、ハンセン病は数千年の歴史がある病気であり、差別でも歴史がある。
そして、世界各国で病者は、今でもさまざまな問題を抱えている。
日本のハンセン病への取り組みは、21世紀に入った段階でみるべき成果を得たといえるようだが、
旧植民地での隔離政策の実態などの解明はこれからだ。
私の学習というレベルで見ても、峰の多さには驚かされる。

 まず、「明治から現代までのハンセン病対策の歴史」という山脈を見ても、
司法、医療、人物、社会福祉、教育、世相、世論、行政、立法、財政、宗教、慈善、
天皇制、開拓史、社会運動などなどである。
思いつくままに書いてみよう。

 人物:
「救らいの父」と称された光田健輔の学習が重要と思われる。
彼の評価について今はとても厳しいが、彼抜きでは「ハンセン病」は語れない。
国立の療養所を中心となってつくったのは彼だが、国立とは名ばかりで、自活を強いられて
当事者とともに苦労した。民間からの寄付にも大きく依存していた。
それは明治の慈善事業家、特に石井十次(孤児の父)の行った慈善事業に共通するところがある。
光田は明治の先人からなにを学んだのか、そしてなにを間違えたのか。近年の研究は目覚ましいものがある。
そこから学びたい。
県立図書館にも、昭和前期の光田の著作が多く残っている。丹念に読む必要がある。

 自治会活動:
当事者運動ととらえられる自治会史の学習も核となる。もちろん入園者の方の考えも多様性がある。
その広がりを理解しなくてはならない。
まずは長島愛生園と邑久光明園の自治会史から読んでいこう。

 近隣諸国への影響:
戦前、戦中に近隣諸国に進出したのは、軍事・経済・文化面だけではない。
医療や社会事業なども進出していった。旧植民地の場合は国内以上に純化した施策の形跡がみられる。
このことも重要だ。

 医療の歴史:
ハンセン病は、患者ひとり一人によって症状が大きくことなる。
ひとつの病名でとらえられないように思われる。症状の軽い人も多い。絶対隔離の問題点がここにもある。
この視点からの研究は今、はじまったばかりだ。

 民族浄化の思想:
これは優生思想との関連が重要だ。ファシズムとの関連があると思われる。

 ジェンダーの視点:
優生思想との関わりで入園者の女性性への差別。避妊、人工中絶など「生む自由の剥奪」は
今でも当事者に深い傷を残している。先行研究を探すこと。

 戦後民主主義(日本国憲法)と隔離政策:
戦後になって隔離政策は強化されたという。
そこには「公共の福祉」の拓大解釈(誤用)があったのでは。藤野豊先生に学ぶ。

 立法と行政:
なぜ、効果的な治療薬が使われ始めた戦後に、隔離強化の「らい病予防法」が作られたのか。
政治家と官僚の関わりはどうだったか。
今の高齢者医療法案も「立法した議員が詳細を知らない」法律だが、同じような構図に見える。
先行研究は藤野豊先生。

 天皇制と慈善事業:
明治以降、天皇制を統治機構として確立するために、国民は天皇の赤子になることを強制された。
国民は自ら進んで赤子になったともいえる。
慈善事業家は御下賜金をまさに天の恵みとした。国家あげての疑似家族である。
ハンセン病慈善事業も同列にあると思われる。
この課題は研究資料も豊富にある。

 宗教による違い:
仏教とキリスト教ではハンセン病に対する考えが異なる。
仏教には明らかに差別思想がある。もちろん、克服した仏教徒もいる。
日本に私立のらい療養施設を作ったのはクリスチャンである。
彼らの医療・社会事業思想も学びたい。

 現代の近隣諸国との関係:
日本からハンセン病の医療協力が行われている。
長島愛生園に勤務していた岡山在住の元医師(カソリック信徒)が取り組んでいる。
詳しく知りたい。

 比較文化社会学的視点:
フィリピンにクリオン島という隔離されていた島がある。
20世紀初頭から当事者を中心に開拓事業が進んだ。
歴史的にみれば、日本と似たような経緯をたどっていくが、結婚、出産に対する考え方が異なり、
カソリックでは産児制限を認めないことから、断種が徹底できない。
そのことが、今にいたる村の発展につながる。
日本のそれとは著しく異なっている。日本は患者の絶えることを待つのみだがクリオン島では
回復者などの子孫が増え、2万人という人口になっている。
では、なぜ日本は子孫を絶やしたのか。徹底した隔離政策はなぜ否定されなかったのか。
日本にはカソリックがもつようなタブーはなかったのだろうか。
海外では、基本的人権の抑圧がどのように行われたのか、行われなかったか。
そしてその原因はなにか。非常に興味深いテーマだ。
 
 民族浄化を真面目?に取り組んだ日本では、その真面目さが怖い結果を生む。
フィリピンにはおおらかな民族性があるのかもしれない。そのことに大きな価値があったのだろう。
隔離政策からの転換も1952年に行っている。日本に比べて40年以上早い。
この差は信じられないほどではないか。

 このように少し書き上げてみるだけで、その広がりに驚く。
私自身が興味のある現代日本の基礎となった明治期の社会思想と、光田健輔によるその継承(彼の流儀で)に
ついてはとても興味がある。(ただあくまで岩清水の仮説)
 長島愛生園の自治会史を読んでいくと、かつて石井十次を支援した人々や団体の寄付で
園内に住宅が建っていくことがわかる。
石井十次が去った後の岡山の社会福祉がどのようになったかも私自身の課題である。
長島愛生園が石井十次なき後の空白を埋めた部分があるのではないか。
岡山県社会福祉史としても学んでいきたい。

 学習範囲の広さに戸惑うばかりだが、資料に恵まれた地元ならではの学び方ができればと思う。
強力なホームページもあることがわかった。先人の労苦を利用させていただくことになる。

厚生労働省のHPに掲載されている「検証会議の最終報告書」(ブックマークの最下段にリンク)がありました。
最新の研究成果です。
900ページに及ぶこの文章も必読です。

※写真は、「人間回復の橋」邑久長島大橋

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2 コメント

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本格的な登山の開始 (bonn1979)
2008-07-27 06:00:51
膨大な見取り図ですね。

石井十次の研究ともつながり
まさにライフワークになりますね。

問題を見つけることは半ば回答得たということ・・とは、おなじみゲーテがいったとか。

わが身の羅針盤なき「研究」を省みる機会となりました。
返信する
Bonn79さんの励ましに支えられて (岩清水)
2008-07-27 21:55:01
コメントありがとうございます。
これから先、道に迷うことばかりだと思います。
bonn79さんの助言にすがるようになると思います。
不出来な学徒ですが、ご支援よろしくお願いいたします。
返信する