岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

「待つ」ということ

2006-10-01 19:08:22 | 日本の仲間
これが本の題名である。
本は読んでいない。たぶん読まないだろうが、著者は鷲田清一さんだ。
読んでもよく分からないことが多いのだ。
彼には「聴く」ことの力 という著作もあってそれは読んだが、するりと
頭の中を通り過ぎたので、今度も読むことが意味があるとは思えない。
しかし、「待つ」ということ、を考えるという行為自体、
これはすごいことだと思った。
哲学者とはこのようなことも考えるのだ。
このことひとつで、哲学者は必要な人々だと感心した。
普通の人々は考えないこと。普通の人々が考えると「変なやつ」と
なることを哲学者は堂々と考えられるのだ。

では、「待つ」とはどのような行為か。
毎日新聞の書評から少し引用してみよう。

引用はじめ
元来「待つこと」には、かすかな「祈り」や「希い=ねがいと
読むそうだ」が含まれている。
「なにかを待つ」というときの、その目的語にあたる「なにか」を
排除してはじめて成立するような「待つこと」の姿・・・。

ムー まさに哲学していますなー。そして 次の文章もとても
気になります。
ホスピタリティ、すなわち「歓待」とは、不意に訪れる他者のまえに
自分をすっかり差し出し、「他者との吹きさしならぬ関係にみずから、
傷つくこともいとわずに挿入してゆく」ことだ。

人はなぜ待つか。それが「わたしというものが存在し始めるその初源の
いとなみであるかもしれない」からだ。
引用終わり

へー。すごい。この推薦文で私は買いたくなりました。
でも買って読むと分からなくなるんだ哲学者の本は。
しかし この推薦文だけで 1000円は得した気になる。
まず ホスピタリティについての覚悟を知ったこと。
ホスピタリティとは「ようこそ、ここへ」だけではないのだね。
今でも不意の来訪者に財産を投げ出して歓待する人々が
地球上には残っているが、これこそホスピタリティの本当の
意味なのだろうね。

「美しい国」という言葉をセールスに使う人もいれば
「待つこと」という言葉だけで論文をかく人もいるのだね。


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