これが本の題名である。
本は読んでいない。たぶん読まないだろうが、著者は鷲田清一さんだ。
読んでもよく分からないことが多いのだ。
彼には「聴く」ことの力 という著作もあってそれは読んだが、するりと
頭の中を通り過ぎたので、今度も読むことが意味があるとは思えない。
しかし、「待つ」ということ、を考えるという行為自体、
これはすごいことだと思った。
哲学者とはこのようなことも考えるのだ。
このことひとつで、哲学者は必要な人々だと感心した。
普通の人々は考えないこと。普通の人々が考えると「変なやつ」と
なることを哲学者は堂々と考えられるのだ。
では、「待つ」とはどのような行為か。
毎日新聞の書評から少し引用してみよう。
引用はじめ
元来「待つこと」には、かすかな「祈り」や「希い=ねがいと
読むそうだ」が含まれている。
「なにかを待つ」というときの、その目的語にあたる「なにか」を
排除してはじめて成立するような「待つこと」の姿・・・。
ムー まさに哲学していますなー。そして 次の文章もとても
気になります。
ホスピタリティ、すなわち「歓待」とは、不意に訪れる他者のまえに
自分をすっかり差し出し、「他者との吹きさしならぬ関係にみずから、
傷つくこともいとわずに挿入してゆく」ことだ。
人はなぜ待つか。それが「わたしというものが存在し始めるその初源の
いとなみであるかもしれない」からだ。
引用終わり
へー。すごい。この推薦文で私は買いたくなりました。
でも買って読むと分からなくなるんだ哲学者の本は。
しかし この推薦文だけで 1000円は得した気になる。
まず ホスピタリティについての覚悟を知ったこと。
ホスピタリティとは「ようこそ、ここへ」だけではないのだね。
今でも不意の来訪者に財産を投げ出して歓待する人々が
地球上には残っているが、これこそホスピタリティの本当の
意味なのだろうね。
「美しい国」という言葉をセールスに使う人もいれば
「待つこと」という言葉だけで論文をかく人もいるのだね。
本は読んでいない。たぶん読まないだろうが、著者は鷲田清一さんだ。
読んでもよく分からないことが多いのだ。
彼には「聴く」ことの力 という著作もあってそれは読んだが、するりと
頭の中を通り過ぎたので、今度も読むことが意味があるとは思えない。
しかし、「待つ」ということ、を考えるという行為自体、
これはすごいことだと思った。
哲学者とはこのようなことも考えるのだ。
このことひとつで、哲学者は必要な人々だと感心した。
普通の人々は考えないこと。普通の人々が考えると「変なやつ」と
なることを哲学者は堂々と考えられるのだ。
では、「待つ」とはどのような行為か。
毎日新聞の書評から少し引用してみよう。
引用はじめ
元来「待つこと」には、かすかな「祈り」や「希い=ねがいと
読むそうだ」が含まれている。
「なにかを待つ」というときの、その目的語にあたる「なにか」を
排除してはじめて成立するような「待つこと」の姿・・・。
ムー まさに哲学していますなー。そして 次の文章もとても
気になります。
ホスピタリティ、すなわち「歓待」とは、不意に訪れる他者のまえに
自分をすっかり差し出し、「他者との吹きさしならぬ関係にみずから、
傷つくこともいとわずに挿入してゆく」ことだ。
人はなぜ待つか。それが「わたしというものが存在し始めるその初源の
いとなみであるかもしれない」からだ。
引用終わり
へー。すごい。この推薦文で私は買いたくなりました。
でも買って読むと分からなくなるんだ哲学者の本は。
しかし この推薦文だけで 1000円は得した気になる。
まず ホスピタリティについての覚悟を知ったこと。
ホスピタリティとは「ようこそ、ここへ」だけではないのだね。
今でも不意の来訪者に財産を投げ出して歓待する人々が
地球上には残っているが、これこそホスピタリティの本当の
意味なのだろうね。
「美しい国」という言葉をセールスに使う人もいれば
「待つこと」という言葉だけで論文をかく人もいるのだね。