京都は今宵、宵山。大変な人出だろう。ちょっと手がでない。
そこで、日暮れまでは手元の本を読んでいる。
『私は私になっていく』クリスティーン・ボーデン著
昨年、10月に京都で開かれた「アルツハイマー病協会国際会議」
で購入した書物である。
今改めて読むととても新鮮だ。
(しかし、この書物で使われている痴呆という言葉が古い差別的な
言葉と思えてしまう。たった9ヶ月前の本なのに。もちろんこの
書物の出版された時には認知症という病名はどこにもなかった)
彼女はこの会議で講演をした。
この書物も会議に間に合うように書かれたものだった。
(2004年12月9日号に掲載しています)
心に残る言葉が散りばめられてる。
クリスティーンの友人のやはり自身認知症である
モリス・フリーデルのスピーチ(2001年アルツハイマー病
協会全豪大会)を紹介しよう。
「まるで私たちは、二つの言語を操るバイリンガルか、
二つの文化に通じるバイカルチャーのようです。
かっての生活からは追われた身ですが
深く創造的にかかわっていく時間はたっぷりあります。
私たちはこの地上で過ごす短い時間の貴重さもよく知っています。
私たちはトラウマを生き延びてきたので、
自分の強さを知っています。
認知力は衰えても、心の底力ー私たちの感情と精神性ーを
引き出しみなさんとつながることができます。
かっては私たちもいたことがあるみなさんの場所へ溝をまたいで
手を差しのべ、新たな方法でふれあうことができるのです」
米国に住むモリス・フリーデルは豪州のクリスティーンと、
インターネットを通じて話し合いを進めていた。
2001年から2004年までの3年間で成し遂げられてことは多い。
認知症の当事者の発言はグローバルな流れとなった。
インターネットに力なくしてはこのような短期間での進展は
なかっただろうと思う。
そこで、日暮れまでは手元の本を読んでいる。
『私は私になっていく』クリスティーン・ボーデン著
昨年、10月に京都で開かれた「アルツハイマー病協会国際会議」
で購入した書物である。
今改めて読むととても新鮮だ。
(しかし、この書物で使われている痴呆という言葉が古い差別的な
言葉と思えてしまう。たった9ヶ月前の本なのに。もちろんこの
書物の出版された時には認知症という病名はどこにもなかった)
彼女はこの会議で講演をした。
この書物も会議に間に合うように書かれたものだった。
(2004年12月9日号に掲載しています)
心に残る言葉が散りばめられてる。
クリスティーンの友人のやはり自身認知症である
モリス・フリーデルのスピーチ(2001年アルツハイマー病
協会全豪大会)を紹介しよう。
「まるで私たちは、二つの言語を操るバイリンガルか、
二つの文化に通じるバイカルチャーのようです。
かっての生活からは追われた身ですが
深く創造的にかかわっていく時間はたっぷりあります。
私たちはこの地上で過ごす短い時間の貴重さもよく知っています。
私たちはトラウマを生き延びてきたので、
自分の強さを知っています。
認知力は衰えても、心の底力ー私たちの感情と精神性ーを
引き出しみなさんとつながることができます。
かっては私たちもいたことがあるみなさんの場所へ溝をまたいで
手を差しのべ、新たな方法でふれあうことができるのです」
米国に住むモリス・フリーデルは豪州のクリスティーンと、
インターネットを通じて話し合いを進めていた。
2001年から2004年までの3年間で成し遂げられてことは多い。
認知症の当事者の発言はグローバルな流れとなった。
インターネットに力なくしてはこのような短期間での進展は
なかっただろうと思う。
会議に行かれた岩清水さんがうらやましい。
当事者の言葉は、医療においても福祉においても、すばらしい示唆を与えてくれますね。
そして、ここに来れるインターネットもすばらしい。
お読みになっておられたのですね。
彼女は今年どのように過ごされて
いるのでしょうか。
最後の著作になるだろうと、
おっしゃっていましたが。