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福島から岡山に避難された方へ取材した貴重な書籍と思う。
岡山へは東北・関東圏からの避難された方が多い。その数は正確には把握できない。
2000人規模ではないだろうか。
震災から2年ほどの間には、避難者の声をできるだけお聞きした。
しかし、私自身が忙しくなり集会にも参加できなくなり、時間が過ぎてしまった。
その間、相馬市や南相馬市にはアムダのボランティアででかけた。
しかし、人々の深い思いを聞くことはなかった。
この37名のインタビュー(6名:2名1組で取材。そのうち一人は避難者)では、その思いが文字や行間に溢れ出ている。
愛情、憎しみ、寂しさ、迷い、失望、絶望、家計、家族への思い、別離、出会い、信頼、故郷への思い、原発、国、県への不信、岡山への思い、病気の恐怖、マスコミ不信。
普通なら持つことが稀な感情を持たされたしまった人々。
強く心に残ったことを書いてみます。
・福島を愛していることが尋常ではない。私はこんなに岡山を愛してはいない。それだけにもう戻れないかもしれないという喪失感は計り知れない。
・子どもたちに現実に起こった病状。実体験だからとても否定できるものではない。風評被害とはなんら関係ない事実。
・バラバラになった家族だが、夫が岡山に移住し家族が一つになっているケースが多いこと。このことを率直に嬉しかった。家族はできるだけ一緒にいないと壊れてしまう。そういうものだと思う(逆に関東圏からの移住組のほうが厳しいかもしれない。男女で放射能への危機感が違う。福島ではそんなこといってられない)
・岡山の弁護士の評価が高いこと(避難者から)。この原発事故の場合は、訴訟を始め法的な課題解決が求められ、対応するためには司法の専門家の支援が欠かせない。その意味で岡山の弁護士がきちんと対応していることはもっと評価されていいと思う。
・岡山の人々への思いは、様々だ。辛辣な意見もあるが、妙に納得できた。
・つながりの大切さ。孤立してはいけない。避難者同士も支援者とも。地域との人々とも。
私はよく思う。たまたまその土地に生まれた。それが岡山であり福島でありシリアであり北朝鮮だっただけだ。そこにうまれたといってなにか特権があるわけではない。後から訪れる人々を拒否する権利などない。難民の受け入れ拒否など、どのような理屈でできるのだろうか。既得権益以外のなにものでもないと思う。