産経新聞 3月7日(金)8時50分配信
瀬戸内海の孤島、大島のハンセン病療養所で昨年8月、83歳の生涯を閉じた詩人の塔和子さん。社会から隔離された過酷な境遇の中で命を見つめ、人間の尊厳を紡いだ1千編の詩は、多くの人の心を震わせた。今月17日、故郷の愛媛県西予市に遺骨が分骨されることになり、塔さんの弟(77)は悩んだ末に「姉の尊厳を守りたい」と銘板に本名を刻むことを決めた。
■小学6年で隔離
リアス式海岸特有の切り立った断崖に囲まれた西予市明浜町田之浜地区の集落に、塔さんは昭和4年、生まれた。小学6年生のときにハンセン病を発症し、家族や社会から隔離されて大島の国立療養所「青松園」に強制収容された。
入所者たちは家族に迷惑をかけないようにと偽名の使用を求められ、最初は本名で通していた塔さんも、歌人である夫がつけたペンネーム「塔和子」を名乗り始める。その結婚も子供を持つことは許されず、男性は断種、女性は妊娠した場合は中絶を強要された。
重症患者の壮絶な介護もさせられる過酷な生活の中で、詩作に心血を注いだ塔さん。療養所に通い交流を続けた弟によると、塔さんは生前よく、「私には子供がいないけれど、詩が私の子供なのよ」と語っていたという。詩は「生きる糧」であり、「生きることそのもの」だった。
平成11年、詩集「記憶の川で」が詩壇最高峰ともいわれる高見順賞を受賞した。
■15ページの特集
故郷の海を望む公園に19年、地元住民らの寄付で詩碑が建てられ、除幕式に出席するため塔さんは半世紀ぶりに帰郷を果たす。出迎えた同級生の宇都宮シナ子さん(84)は「いつも一緒に遊んでいたから懐かしかった」と振り返る。
父母が眠る故郷で幼なじみや住民ら約200人に温かく迎えられた塔さんは、涙で声をつまらせながら「まさかこんな日が来るとは思ってもみなかった。人生で一番うれしい日」と語ったという。
今なお、ハンセン病への差別や偏見が残る中、西予市は「塔和子を生んだまち」として、塔さんの詩の朗読会や半生を描いたドキュメンタリー映画の上映会を開催したり、中学校の授業で取り上げたりするなどして名誉回復に努める。
昨年末には広報誌で15ページにわたる特集を組み、強制隔離されたハンセン病の歴史、塔さんの詩作の歩み、家族の思いなどを紹介。市民からは「塔さんの詩には生きる喜びがあふれ、涙が出た」などと共感や感動の声が寄せられたという。
明浜町の元中学校長で詩碑建立に奔走した増田昭広さん(68)は「精一杯生き抜いた塔さんとその詩を通して、豊かな心、豊かな地域を育んでいきたい」と話す。
■本名刻み尊厳回復
塔さんは昨年8月28日、急性呼吸不全のため亡くなった。「私に何かあったときには、父さん、母さんのお墓に一緒に入れてほしい」。そう話していた生前の意を汲み、療養所の慰霊塔に収められた遺骨は故郷に分骨される。
「本名を隠したままでは人間としての姉の尊厳は回復できないのではないか」「しかし、他のきょうだいたちの思いもある」。市の広報誌で苦しい胸の内を明かし、いったんは公表しないことにした塔さんの弟だが、「姉の尊厳を保ちたい」と最終的に銘板に本名を刻むと決めたという。恋い焦がれた故郷で、塔さんは安らかな眠りにつく。
※写真は、香川県捨身ヶ岳禅定