岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

【貧困調査】英国の場合 石井十次その十三

2005-02-22 16:54:17 | 石井十次
貧困とはどのようなものか。19世紀末、世界で最も資本主義
の進んだ英国で調査が進んでいた。もっとも富める国でなぜ
貧困調査なのか。

今では常識でもある「富めるものはますます富み、貧しい
ものはますます貧しくなる」という仕組みは、当時理解されて
いなかった。

だれがどこで貧困調査をしたかについてなら、社会福祉を学ぶ
ものはよく知っている。
さて日本国内にそのことを知らしめた人はだれだったのだろう。
経済学者の河上肇である。著書『貧乏物語』は、実は貧困調査
の紹介本でもあった。
『貧乏物語』は、1916年(大正5)に大阪朝日新聞に連載
された。この連載において日本国民は、「貧困の科学」という
ものを知ることになった。
反響は大きく大正デモクラシーへとつながっていく。

内容を少し書くと(さわりの部分)、
1、生活を維持するするためにどの程度のカロリーが必要か。
2、そのカロリーを得ることができない人間がどのくらい
いるのか。
3、貧困に落ちいたものの原因は?
4、貧富の差(=富の分配)はどうなっているのか。
5、貧しい児童に試験的に給食をした場合、やめた場合どう
なったか。
6、その調査結果を受けて、英国では児童に公費で給食を始める
ことになった。1906年の教育(食事公給)条例の発令である。

第2次世界大戦後、私たちも学校給食で大きくなったが、
その源はここにあると思う。

このように考えを進めれば、当然のことだが、貧困は社会制度に
密接につながっている。社会改革の運動が起こっていくことが
わかる。

しかし、十次は河上が『貧乏物語』を書いた1916年の2年前、
1914年(大正3)にこの世を去っている。
十次は、貧困とは何たるものか、科学としては十分知らなかった
かもしれないが、貧困がもたらすさまざまな現実と日々対決
していた。

十次たちが、進めた「救貧」活動が一応の使命を終え、代わって
「防貧」が求められるのは第2次世界大戦が終り、世の中が
落ち着く1960年代である。

救貧活動はまだ始まったばかりであった。

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