今週も後半になると、さすがに打ち合わせがしにくくなります。
「盆明けにしましょう」という声が聞こえます。
しかし、私にとってはお盆休みは関係ありません。
2年前までは、毎年帰省ラッシュの中でしたが、帰省の混雑はテレビの中の話になってしましました。
「毎年大変だった」と両親に話しても、反応がありません。
父親はもう覚えていないのでしょう。
母親は耳が遠く聞こえなかったようです。
この場合、毎年汗だくになって帰ってきていたことは、なきに等しいのでしょうか。
たぶんそうでしょう。
しかし、記憶とは不思議なものです。
個人の記憶としては消えていっても、人々の無意識の記憶の中に蓄積されていくようでもあります。
逆に、無意識の記憶になってしまっていた記憶を掘り下げて、共有の記憶に再生する試みに
挑んでいる人もいます。
記録に残りにくい記憶を丹念に掘り下げる営みは、「語られない岡山空襲」でも
続けられています。
空母から発進する戦闘機による空襲です。
動くものはなんでも撃ったという小型機による空襲が記憶から失せてしまう直前に、明らかになりつつあります。
米軍の軍事資料を読み解くことで可能になりました。
NHKローカルで放送していました。
たとえ、個人の記憶は消えてしまっても、それでもなお残っていくのでしょう。
「盆明けにしましょう」という声が聞こえます。
しかし、私にとってはお盆休みは関係ありません。
2年前までは、毎年帰省ラッシュの中でしたが、帰省の混雑はテレビの中の話になってしましました。
「毎年大変だった」と両親に話しても、反応がありません。
父親はもう覚えていないのでしょう。
母親は耳が遠く聞こえなかったようです。
この場合、毎年汗だくになって帰ってきていたことは、なきに等しいのでしょうか。
たぶんそうでしょう。
しかし、記憶とは不思議なものです。
個人の記憶としては消えていっても、人々の無意識の記憶の中に蓄積されていくようでもあります。
逆に、無意識の記憶になってしまっていた記憶を掘り下げて、共有の記憶に再生する試みに
挑んでいる人もいます。
記録に残りにくい記憶を丹念に掘り下げる営みは、「語られない岡山空襲」でも
続けられています。
空母から発進する戦闘機による空襲です。
動くものはなんでも撃ったという小型機による空襲が記憶から失せてしまう直前に、明らかになりつつあります。
米軍の軍事資料を読み解くことで可能になりました。
NHKローカルで放送していました。
たとえ、個人の記憶は消えてしまっても、それでもなお残っていくのでしょう。