岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

詩人 永瀬清子さんの生家訪問

2018-05-17 22:05:27 | 永瀬清子

岡山県赤磐市にある永瀬清子さんの生家を訪問しました。

保存会の方が修復を進められ、見事に復元されています。

ただ、見学できる日時が限定されております。

清子さんの月命日に17日午後2時から4時の間です。

17日以外も対応して頂ける場合があるそうです。連絡をしてみてください。

アクセス 方法

この日に清掃と詩の朗読をされるということで本日岡山市からサイクリングで出かけました。

26km2時間の行程です。

霊峰熊山と山陽自動車道が架かる吉井川が見えると、清子さんの生家はもうすぐです。

正面の山の麓が目的地です。左手の川は田原用水です。吉井川から農業・生活用水を引いています。

小瀬木の集落によりました。

昔、ここに近くのの人が寄り集まって、桧を植えるために竹林を伐採したそうな。

毎年の冬の終わりの行事だった。大変急な斜面での作業を二日がかりで切り開くという。

最後に山頂までたどり着くと、はるかかなたに那岐山がみえるそうな。鳥取との県境である。

清子さんはの一員として参加している。

清子さんの祖父は県境の峠を越えて日本海側に商売に出かけたという。

なかなか商売上手だったらしく家も立て、田んぼも買った。

私がこれから見学に行く清子さんの生家とは、その祖父の遺産でもある。

赤磐市熊山支所を過ぎる。たぶん旧熊山町役場だったのでしょう。

山里の近づくと看板があった。

写真で見た生家が現れた。手前の空き地が蔵の跡ですね。

主屋は、商家造りだった。

本家の永瀬家は元庄屋なので、意外でした。

室内は見事に修復されていました。

この家を建てたのは、清子さんの祖父源作さん。

源作さんは、1841年に生まれ1886年に没している。

この一族で唯ひとり商人になった源作さんは十代の半ばから商売を始めていたと考えられます。

20代には相当の蓄財があったでしょう。

この地域は吉井川を利用して県北まで船で荷物を運ぶことができました。

そして、中国山地を超えて日本海側に関西の物産を届けていました。

まだ鉄道ができる前の話です。

商売として有利な環境でした。

この富で源作さんは、家を建て蔵を建て、40町歩に及ぶ田んぼを購入できたのだと思います。

源作さんは、1886年に亡くなり、その20年後に清子さんがこの家で生まれました。

1906年のことです。

生後直ぐ、この地を離れた清子さんは、父親の転勤で金沢、愛知、夫の勤務先の大阪、東京とめぐり、40年後に再び戻ってくることになりました。

終戦の年です。

※一部推測もあります。

つづく。

 


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1 コメント

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昨日は どうも (長澤孝子)
2018-05-18 09:37:05
昨日は遠路はるばる有難うございました。
また、清子の母上の生家の敷地や、墓所も歩いてすぐの所にありますので、ぜひ、お越し下さい。源作さんの情報、有難うございます。45歳で亡くなったとは知りませんでした。
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