
検討会の資料を打ち出してみました。
各委員には、分厚い資料が提出されたのですが、この日の議論がどうだったかは
まだ知らないのですが、この老健局老人保健課製の資料を吟味するまもなく、
既成事実として、マスコミへの厚労省発表となったのではないでしょうか。
それにしても、認定ソフト同様、創意も工夫もないデータ。
こんなデータを読み解く委員の方は面白くもなんともないでしょうね。
軽度になる人が多いことをさすがの厚労省も認めました。
修正すると発表していますが、現場で要支援や要介護の方をみている立場で言えば、
「軽く認定される人はどのような環境の人か」を知りたい。
そのような視点でのデータはない。
自治体の参考意見も掲載されているが、これは要支援や要介護の方に接触していない
何の価値もないコメントになっている。
これは日ごろからブログで主張している通りです。
「どのような人が軽く認定されるか」。
要支援者や要介護者の生活を知る私たちの見方は、
「一人暮らしの人は軽くなる」ということ。
逆に「家族に支えられている人は重くなっている」
この現象は、ソフトとしては致命的な欠陥です。
サービスが必要な人がサービスから疎外されることになるわけですから。
この1点をとらえても、認めることができないソフトです。
この認定ソフトは、ソフト至上主義で作られています(と強く思います)。
すなわち、できるだけ人間を介在させない。
調査員も、考える調査員から、規則どおりにチェックするマシンとなります。
そして、その一次判定はやすやすとは変更できないのです。
人の生活は、生活環境を含めたまるごと人間の営みです。
そのことへのサービス面での配慮ができるのは、日ごろから接している人々です。
ケアマネや地域包括職員、各施設関係者などなどです。
実際に係わっている人を信頼する。
認定に関与できるようにする。
すなわち、現在厚労省が目指している方向性の正反対の方向です。
人を信頼する。ともに信頼できる関係づくりをする。
いくらなんでもこれがベースだと思う。
今の厚労省は、ケアマネ制度をつくりながら、信頼していないという
ちょっと心の問題のようなところがあります。
少し独断風だったかもしれません。
直観のようなところもあります。
※写真は市内の公民館。もう定年になっているようです。
戦後すぐの建築と思います。この付近は戦災に遭っていますから。
各委員には、分厚い資料が提出されたのですが、この日の議論がどうだったかは
まだ知らないのですが、この老健局老人保健課製の資料を吟味するまもなく、
既成事実として、マスコミへの厚労省発表となったのではないでしょうか。
それにしても、認定ソフト同様、創意も工夫もないデータ。
こんなデータを読み解く委員の方は面白くもなんともないでしょうね。
軽度になる人が多いことをさすがの厚労省も認めました。
修正すると発表していますが、現場で要支援や要介護の方をみている立場で言えば、
「軽く認定される人はどのような環境の人か」を知りたい。
そのような視点でのデータはない。
自治体の参考意見も掲載されているが、これは要支援や要介護の方に接触していない
何の価値もないコメントになっている。
これは日ごろからブログで主張している通りです。
「どのような人が軽く認定されるか」。
要支援者や要介護者の生活を知る私たちの見方は、
「一人暮らしの人は軽くなる」ということ。
逆に「家族に支えられている人は重くなっている」
この現象は、ソフトとしては致命的な欠陥です。
サービスが必要な人がサービスから疎外されることになるわけですから。
この1点をとらえても、認めることができないソフトです。
この認定ソフトは、ソフト至上主義で作られています(と強く思います)。
すなわち、できるだけ人間を介在させない。
調査員も、考える調査員から、規則どおりにチェックするマシンとなります。
そして、その一次判定はやすやすとは変更できないのです。
人の生活は、生活環境を含めたまるごと人間の営みです。
そのことへのサービス面での配慮ができるのは、日ごろから接している人々です。
ケアマネや地域包括職員、各施設関係者などなどです。
実際に係わっている人を信頼する。
認定に関与できるようにする。
すなわち、現在厚労省が目指している方向性の正反対の方向です。
人を信頼する。ともに信頼できる関係づくりをする。
いくらなんでもこれがベースだと思う。
今の厚労省は、ケアマネ制度をつくりながら、信頼していないという
ちょっと心の問題のようなところがあります。
少し独断風だったかもしれません。
直観のようなところもあります。
※写真は市内の公民館。もう定年になっているようです。
戦後すぐの建築と思います。この付近は戦災に遭っていますから。