地域包括支援センターの職員をしていると、人生の深淵を覗かざるをえないことがある。
担当させていただいた方の中には、「一人暮らし」で、家族や親族から疎遠になって
相談する相手もいないという方もやはりいらっしゃいます。
今回の群馬県の火災事故でも、被害に遭われた方の親族に「電話をかけても取り合ってもくれない」と
いう報道がありました。
残念ながら、珍しいことではありません。
私たちは、「生きていく中でそのような立場にならざるを得なかった人」の老後にも
立ち会うことになります。
そのような場合には、ご本人に接触する数少ない人間の一人とならざるをえません。
訪問回数は増え、やがて毎日通うようになる場合もあります。
私のささやかな経験の中でも、末期がんに侵され、さまざまな配慮が必要になり、
医療や介護保険サービスを組み合わせ、ご自宅で看取りをさせていただいた方が
いらっしゃいます。
訪問診療をしていただいた70代の医師は、危篤に陥られた本人の枕もとで、
「一人暮らしの方の最後を自宅で診るのは初めてだ」と私に向かって話されました。
大ベテランの訪問診療専門の医師でも初めての体験といわれるほど
「一人暮らしの方の自宅での看取り」はまれなケースです。
願わくば、「一人暮らしをしていても、畳の上で看取られ大往生」したい。
そのようなことが可能になる社会にしていかなくてはならないのだと思います。
決して、「臨終難民」を生んではなりません。
担当させていただいた方の中には、「一人暮らし」で、家族や親族から疎遠になって
相談する相手もいないという方もやはりいらっしゃいます。
今回の群馬県の火災事故でも、被害に遭われた方の親族に「電話をかけても取り合ってもくれない」と
いう報道がありました。
残念ながら、珍しいことではありません。
私たちは、「生きていく中でそのような立場にならざるを得なかった人」の老後にも
立ち会うことになります。
そのような場合には、ご本人に接触する数少ない人間の一人とならざるをえません。
訪問回数は増え、やがて毎日通うようになる場合もあります。
私のささやかな経験の中でも、末期がんに侵され、さまざまな配慮が必要になり、
医療や介護保険サービスを組み合わせ、ご自宅で看取りをさせていただいた方が
いらっしゃいます。
訪問診療をしていただいた70代の医師は、危篤に陥られた本人の枕もとで、
「一人暮らしの方の最後を自宅で診るのは初めてだ」と私に向かって話されました。
大ベテランの訪問診療専門の医師でも初めての体験といわれるほど
「一人暮らしの方の自宅での看取り」はまれなケースです。
願わくば、「一人暮らしをしていても、畳の上で看取られ大往生」したい。
そのようなことが可能になる社会にしていかなくてはならないのだと思います。
決して、「臨終難民」を生んではなりません。
これも社会福祉の領域での介護保険ではないということを痛切に感じます。介護保険とうふるいかけられ、そこかた落ちてしまう方々はいっぱいいます。それは契約という介護保険サービスではできない、従来からある社会福祉援助技術を通じてでしかできないと思ってます。近隣住民を拒否し、民生委員も拒む中、通い、声をかける回数が増えていくごとに心がひらかれていく、そんな係わりを核として社会福祉の領域の介護保険制度であってほしいとほんとに思います。
「臨終難民」,本当に避けたいですね。そのためにも,日々「死」をどう迎えるか,を考える機会が大切なのだと感じています。もしご家族がいないのであれば,私たち援助職が一緒に考えていくことも必要なのでしょう。
「その人らしく」がキーワードなのであれば,死に方もその人らしく,オーダーメイドであってもよいのでは,と思えてなりません。