岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

1995年1月18日。一夜明けて。

2025-01-18 16:56:09 | 大地震

夜遅く自宅に帰った。

18日朝に西の空(六甲山がある)を見ると真っ黒な煙で覆われていた。

その煙の下で何千人も犠牲になっていた。18日の時点では把握できていなかったように思う。

とりあえず飲料水をリュックに入れてJR大阪駅に向かった。

昨夜、親せき宅で過ごした香港帰りの女性社員と私たち二人が合流した。

ティッシュやリップクリームが不足しているという話を聞き手当てをした。

阪急梅田駅から西宮北口駅までは行くことができると言われたので乗ることにした。

電車は被災地に向かう人であふれていた。

表面的には大阪の街は大きな被害がなかったからか電車の中では人々はいろいろと会話をしていた。

しかし西宮に近づくと突然会話が途絶えた。

窓の外の風景が一変していた。

傾いた家、つぶれた建物が並んでいた。

もう発する言葉はなかった。

 

たどり着いた西宮北口駅からは交通手段はない。

ここからは歩くしかない。

人々は知人や縁者の家を目指して黙々と歩き始めた。

崩れた家に取り残された人を救う人々が作業している脇を黙々と歩く人の群れ。

一番遠いと思われる長田区までは25kmもある。

六甲と海の間にある街並みは大阪から途切れることなく明石まで続く。50km以上の長さである。

神戸は東と西が完全に分断されてしまっていた。

私たちは彼女を無事送り届けた後、また黙々と西宮北口駅に向かって戻っていった。

大阪の会社に帰って、被災した人々の情報を聴きながら

支援物資の手配をした。

二日目、まさに手探りの支援が始まった。

 

お読みいただきありがとうございました。

 



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