岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

東北の旅 その19 女川町2 女川浜

2013-05-09 09:49:49 | 東北 2013年4月
女川町の中心であり港に面している女川浜に向かいます。
左手前方の高台に建っている建物が地域医療センター(旧町立病院)です。
かなりの高台です。
でも無傷ではありません。
1階まで津波が押し寄せてきました。
この町を襲った津波がどんなにすごかったか。

いつものように2枚の地図を並べてみます。




この画像は少し広域になっています。

黄金町の上に赤で丸いラインを描いたあたりが、地域医療センターです。
高台の下にある駐車場に女川町社協の車が並んでいました。
何か、ホッとして隣に停めさせていただきました。
仲間意識でしょうか。





医療センターの高台に上がる道のガードレールは壊れたままです。
そして後でわかったのですが、車を停めたこの場所は住宅跡でした。
すっかり整地されていたのでネットで確認するまでわかりませんでした。

女川浜に入ってもなかなか停車する場所がありません。
絶えずダンプカーが走っています。
坂の下の道に車を寄せて停車しました。

周りにはなにもありません。
茫然としてあまり撮影できませんでした。


右手の高台に地域医療センターが見えます。
これが二つ目の赤丸から撮った写真です。

私は完全に方向感覚を失いました。
ナビは「付近の交通規制に従ってください」というだけです。
もちろん道路標識はありません。
ただダンプカーが走り回っています。
振り返ると、荒れ果てた山肌の下の道に避難場所の掲示があります。



皆さん、ここをよじ登られたに違いありません。



ダンプカーが走っている道に出て、後を追いました。
港に入って行きました。
町が復興するためには港と船と冷凍冷蔵工場や水産加工場の再建が欠かせません。
その作業が進められています。





※この建物についての記事がホームページにありました。

「カタール国から20億円の支援を受けて石浜工業用地に建設中だった冷凍冷蔵施設が完成。10月13日カタール国行政監督庁長官をはじめ、関係者出席のもと記念式典が行われました。
 この施設は、被災地域に建設された女川初の本格建築物で、津波の圧力を受け流して建物を守る構造となっています。冷蔵6,000トン、冷凍50トンの貯蔵能力があり、カタールの伝統漁法にちなんで「マスカー」と名付けられました。」

誰に会うこともありません。
私は港に入った道を取って返し、車が東へ向かう道に入りました。
どうしようもなく追われるように知らない道を走っていきました。

※女川町のホームページに復興の歩みが掲載されています。
よくわかります。

なくなられた方:821名 
人口10.014名(11年3月11日時点)
合掌


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2 コメント

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この記事を読んで・・・ (ゆー)
2013-05-10 12:09:55
はじめまして。ゆーといいます。
この記事を読ませていただきました。
この記事を読んで、初めに、津波のすごさが今でも痛感できるようでした。高台でも1階に水が押し寄せるということは、海に近いところの被害はどのようなものだったか想像ができません。私は、復興がどこまで進んでいるか知りませんでした。これからは、リンクされている女川町のホームページなどを見て、被災地の状況を知っていきたいと思いました。
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復興へ (AYK☆)
2013-05-10 12:18:09
女川の記事、見させていただきました。

写真を見て、ただ驚くばかりでした。まだたった2年しか経ってないのにニュースで復興の様子を詳しく知ることができません。
このような行動をおこして自分の目で確かめることが大切ですね。
百聞は一見にしかず、ですね。
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