岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

1年前の4月の岩手県宮古市田老の様子です。河北新報が現在の状況を報道しています。

2014-06-17 09:25:40 | 東北 2013年4月
「宮古市田老2」 東北の旅 55
2013年4月現在の宮古市田老の写真です。万里の長城という表現は、その長さではなく、形から来ているように思いました。万里の長城のように底辺が広い防潮堤です。大変強靭な防潮堤で...


河北新報 2014年6月11日記事です。

東日本大震災 巨大防潮堤/合意なき「壁」で何を守るのか

 沿岸被災地で完成間もない防潮堤に登ってみた。そこでは高さ10メートルを超える「壁」が海と陸をきっぱりと隔てていた。
 被災3県で整備予定の防潮堤は総延長386キロに及ぶ。既に46キロ分が完成し、各地で工事が本格化している。
 宮古市田老地区では、巨大防潮堤への過信が被害を大きくしたとの指摘もあった。それでも岩手県は、現況から4.7メートルをかさ上げする。
 気仙沼市本吉町の小泉海岸に造る防潮堤は14.7メートル。ここから海に流れ込む津谷川の河口堤を含めた完成予想図は、土木工学の専門家が今から難工事を予見するほどのスケールだ。
 既存の防潮堤は各県横並びでおおむね1メートルのかさ上げが決まった。「既存高プラス1メートル」までなら災害復旧事業の枠内として全額国に負担してもらえるためだ。
 国の基準を出発点に各県は、防潮堤の整備方針を決定。その後、背後地を土盛りしてインフラを敷設。最後に住民に諮ってまちづくり計画を固める。
 行政による復興は概略この順序で進められてきた。だが、復興に寄せる被災住民の思いは、行政の手法と逆のプロセスをたどるのが普通だろう。
 住民はまず「こんなまちで暮らしたい」という理想から対話を始める。次に願いを形にして街並みや施設の配置を考える。そして最後に防潮堤は必要か、必要だとしたら許容できる高さはどれくらいかを決める。
 防潮堤の建設を復興の入り口とする行政と出口に置く住民では、議論がかみ合うはずもなかった。
 単なる復旧事業である以上、住民合意も必要としない。結果、復興の加速化を重視する行政の対応は相当、荒っぽいものとなった。
 岩手県の説明会では職員が膨大な資料を駆け足で説明し、住民は熟慮する時間を与えられないまま、その場で拍手を求められたという。宮城県の村井嘉浩知事は「私の責任で決断する」との言説を曲げようとしない。
 仮に、それが住民の命を守る手だてだとの信念で復興事業を推し進めたとしよう。しかし、住民の理解と納得を軽視する形で造った防潮堤によって土地の魅力が減じてしまえば、やがて人々はその土地から去っていく。そうなったとき、巨大防潮堤は一体何を守ろうというのか。
 防潮堤整備の復旧事業扱いには、自然環境を保全する観点からも問題点が指摘されている。原状回復のレベルを逸脱する工事にもかかわらず、環境影響調査の対象外となるためだ。
 波打ち際をコンクリート壁で固めることによる生態系や、そこからの恩恵で成り立つ漁業への影響が真剣に検討されてきた形跡は、残念ながらない。
 過去、幾度となく津波被害に遭ってきた三陸の住民は、しなやかに、あるいはある種の諦観をもって海と向き合い、生きてきた。足元の防潮堤は、そんな精神性までも押しつぶそうとしているように見える。



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