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文章を打とうとキーボードをたたき始めた。
4年使っているからか、文字変換が遅い上に誤変換してしまうことが多い。
これはPCから音楽を聴いていることにもよると思う。
CPUが100%使用中ということらしい。
最初から話がそれてしまった。
実は、変換がうまくいかない。菊池と打とうとすると「聴く知」と変換してしまう。
でも、これって、誤変換ではないよ、と一人悦に入る。
菊地さんの講演のテーマは、「傍らにいることが許される者~転換期において求められる介護と福祉とはなにか」
もちろん許される者がいれば、許されざる者がいるわけで、あなたは、どちらなのかと問われる。
許されざる者という自覚なく、あなたは傍らにいるのではないかと。
あなたは、支援を受ける人に接するときに「普通の人」として接していますか。
世間では普通にすることができる生活を、支援を受ける立場の人には、できない、といっていませんか。
食事支援や排せつ支援で、ちょっと待って、我慢して、と言ってませんか。
順番待ちをさせていませんかと。
年長者に対するような、きちんとした会話ができているでしょうね。
まさかちゃん付けで呼んでいるようなことはないでしょうね。
自立の意味を取り違えていませんか。
自立と自律の違いがわかっていますか。
専門職の意味を間違えていませんか。
専門職とは、一番近くで支援することが許させる人のことですよ。
そのためにソーシャルワークを学ぶのですよ。
知識ではありませんよ。
看取り介護について。
菊地さんは、折りに触れて、看取り介護に言及される。
今回の講演でもそのお話があった。
マリア・テレサの言葉に、
「人生の99%が不幸だとしても、最後の1%が幸せとしたら、その人の人生は幸せなものと替わるでしょう」
これはマリア・テレサがインドで実践していたことです。
では、現在の日本で誰が看取るのか。
家族ですか。遠距離にいる家族が看取れますか。
もちろん、医師や看護師には無理です。
これからは、施設で看取らなくてはならないのですよ。
最後の1%の幸せを担うのは、私たちなのですよ。
高齢者の住まいであるホームが担うのですよ。
そして、そのような自覚を持ってほしい。
誇りに思ってほしいと。
菊地さんは、心ある援助者を求めて、仲間を増やしていこうと。
「魂の伝道者」となって日本中を飛び回っている。
※私は「臨終難民」という言い方をしています。
人が幸せに臨終を迎えることができにくい世が近づいています。
団塊の世代が臨終を迎える近未来のことを考えれば、容易に想像できます。
野田さんの言葉で言えば、肩車時代です。
一人が一人を支える時代になります。
その時に、誰が看取るのですか。
ホーム以外には考えられないのです。
もちろん、どのようなホームになるか。
そのことも模索しなくてはなりません。
ただ言えるのは、国が考えているような高齢者住宅では不可能ということ。
最後の1%をいかに考え、支援するか。
いや支援されるか。
そこを忘れては、専門職とはいえません。
菊池さん、有難うございました。