靖国神社はいつからあそこに建っていた
なんて考えたことなかったが、
京都霊山で殉難志士の招魂祭が1862年に
行われて、1869年(明治2年)に東京で
祭ることになった、それが東京招魂社という。
京都霊山で殉難志士の墓地といえば、坂本竜馬
などが祭られているとこで、竜馬ファンの聖地
のようになっている。
そこが元靖国とは知らなかった。
招魂祭は慰霊祭のようなものだったから、
当時は、戦死した志士を弔っただけであり、
別に戦死者が神になるわけではなかった。
江戸時代までの日本の宗教といえば、神も仏も
一緒だった。天皇家も一緒。京都では、天皇家
ゆかりの御寺が多い。
神道が、天皇家の宗教というのは、明治以後の話。
明治になって、祭政一致でお寺は壊され、神社だけが、
興隆した。神は神といってもキリスト教は迫害された
ままだ。
このような宗教迫害には、諸外国は黙っていない。
外圧で信仰の自由が許された。
私は外圧を否定しないよ。外圧がなかったら日本は
まともな国になれない。これはまた書きたい。
ということで、国のために死んでも大丈夫、靖国神社
がある、ということになった。
ちなみに、戦前の靖国神社の管轄は陸軍省と海軍省
だった。当然でしょう。基本は軍人を奉るところだから。
もちろん、近藤さんや土方さんは論外ですね。
賊軍だから。
このように「死んでも大丈夫」という考え方は、、
どんどん広がっていく。生めよ増やせよ。だけど丈夫な
子だけということで戦前の「母子保護法」。
遺族になっても怪我をしても、「戦傷病者戦没者
遺族等援護法」があるとなる。
話は戻って、靖国神社問題。
明治以来の国の統治の精神的な基盤は天皇制と
密接に繋がった国家神道にある。
神社の鳥居は、朝鮮、台湾、満州にも建てられ、
日本のシンボルとなる。占領された人々にとっては
侵略の記号であった。
このような経緯をみれば、「日本国の礎となった人々」を
奉っているから参拝するという小泉某の発言の単純さが
よくわかる。
無理やり「日本国の礎とならされた人々」や、
「侵略の記号」を強制された国々にとっては、とんでも
ない話なのである。
靖国神社、元は勤皇の志士(後の官軍)の慰霊祭だった。
なんて考えたことなかったが、
京都霊山で殉難志士の招魂祭が1862年に
行われて、1869年(明治2年)に東京で
祭ることになった、それが東京招魂社という。
京都霊山で殉難志士の墓地といえば、坂本竜馬
などが祭られているとこで、竜馬ファンの聖地
のようになっている。
そこが元靖国とは知らなかった。
招魂祭は慰霊祭のようなものだったから、
当時は、戦死した志士を弔っただけであり、
別に戦死者が神になるわけではなかった。
江戸時代までの日本の宗教といえば、神も仏も
一緒だった。天皇家も一緒。京都では、天皇家
ゆかりの御寺が多い。
神道が、天皇家の宗教というのは、明治以後の話。
明治になって、祭政一致でお寺は壊され、神社だけが、
興隆した。神は神といってもキリスト教は迫害された
ままだ。
このような宗教迫害には、諸外国は黙っていない。
外圧で信仰の自由が許された。
私は外圧を否定しないよ。外圧がなかったら日本は
まともな国になれない。これはまた書きたい。
ということで、国のために死んでも大丈夫、靖国神社
がある、ということになった。
ちなみに、戦前の靖国神社の管轄は陸軍省と海軍省
だった。当然でしょう。基本は軍人を奉るところだから。
もちろん、近藤さんや土方さんは論外ですね。
賊軍だから。
このように「死んでも大丈夫」という考え方は、、
どんどん広がっていく。生めよ増やせよ。だけど丈夫な
子だけということで戦前の「母子保護法」。
遺族になっても怪我をしても、「戦傷病者戦没者
遺族等援護法」があるとなる。
話は戻って、靖国神社問題。
明治以来の国の統治の精神的な基盤は天皇制と
密接に繋がった国家神道にある。
神社の鳥居は、朝鮮、台湾、満州にも建てられ、
日本のシンボルとなる。占領された人々にとっては
侵略の記号であった。
このような経緯をみれば、「日本国の礎となった人々」を
奉っているから参拝するという小泉某の発言の単純さが
よくわかる。
無理やり「日本国の礎とならされた人々」や、
「侵略の記号」を強制された国々にとっては、とんでも
ない話なのである。
靖国神社、元は勤皇の志士(後の官軍)の慰霊祭だった。