岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

『殉教 日本人は何を信仰したか』 山本博文著 光文社新書

2010-02-15 21:26:02 | 
著者は東京大学史料編纂所教授 1957年岡山県生まれ

もちろん、この書物に書かれる「殉教」とは徳川初期に日本で行われたキリシタンの殉教のことである。
著者は職名でわかるように、史料を掘り起こすエキスパートといえる。

ゆえに読むことで得られる情報は信頼できるものであり、私のような研究者ではないものには
まことにありがたい書物といえる。

この本の中で、特に印象的だったのことは、以下の三点であった。

一点は、キリシタンの心情と武士の心情には、深い親和性があったこと。
殉教はまず武士階級から始まった。

「日本人の武士の場合、死に直面して取り乱したりせず、泰然として死んでいくことが通常の習慣であった。
従ってキリシタンとなった武士は、殉教の場に臨んで最後まで落ち着いた態度をとり、キリスト教で
教えられたとおり、殉教を神の恩寵と考えて歓喜の中で死んでいったと考えることは、無理のないのである」

このキリスト教徒と武士の精神の親和性は、明治期にキリスト教が再来したときにも明らかになる。
キリスト教徒になったのは、旧士族が中心だったのだ。また、神の前の平等という教えに驚きを
持って受け入れたのは平民や女性たちであった。

二点目は、殉教は、輝かしいことであり、キリシタンは進んで名乗り出て、刑場へと赴いていったこと。
来日した宣教師も歓喜のうちに火あぶりの刑に処せされた。
後に続けと来日を希望する宣教師があまりに多いため、アジアでの布教に影響が出たほどだった。

三点目は、猛烈な聖遺物信仰があったということ。
ヨーロッパでは、キリストの聖遺物が信仰の対象となっており、聖人の墓地に教会が
立つことはその例といえる。
また現存するとは信じられないことだが、キリストの顔を覆った布まで聖遺物として信仰の
対象とされている。
それは、仏教の仏舎利という聖遺物とも似ている。
殉教した人々の遺体をキリシタンが追い求め持ち去る様は、当時の異教徒(仏教徒)には
信じがたいことだったのだが。

殉教者が数多く出たことは、それだけ聖遺物が多く出来たということでもあり他に例を
みないことだったらしい。
なお、殉教者は4000人に上るという。この中には島原・天草一揆の死者は含まれない。
殉教の条件から外れていると考えられている。

最後に、遠藤周作が殉教を扱った小説『沈黙』の主人公の苦悩は、現代人の苦悩であり、
400年前の殉教者の苦悩ではないことを論証していることも興味ぶかい。

※写真は岡山カソリック教会の保護聖人 聖ディエゴ喜斎(日本26聖人殉教者)。岡山市北部芳賀の生まれといわれる。
殉教者は今もカソリック信徒の心の支えである。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
韓国との違い (bonn1979)
2010-02-16 06:28:53
キリスト教については
知らないことが多いのですが
昨日博士論文の審査で
韓国の方の発表があり
キリスト教の教会が
高齢者介護で大きな役割を果たしていることを知りました。
それにひきかえ日本は・・
と思っていたところでした。
*拙ブログ(第3522号)にリンクさせていただきました。
返信する
教会の社会的役割 (岩清水)
2010-02-16 22:41:12
韓国におけるキリスト教の役割もきちんと
知っておきたいですね。

考えてみれば本当に隣国を知りません。
知らないではすまないことですが。

これが一般的日本人の姿です。
なんとかしなくてはなりません。

返信する