岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

日記風になっている今週のブログでした。

2008-11-22 00:20:02 | 日本の仲間
bonn1979さんに、岩清水節と書いていただき、恨み節でなくてよかったと思っています。
最近、ブログ風、いや日記風になっていると思います。
週中も週末もばたばたとしているのが原因です。本は短時間しか読めず「まとまらず」
というところです。
『近代日本における社会事業の展開過程-岡山県の事例を中心に』(赤松力著)などを
読んでいると、人物紹介など簡単にはブログにも書けません。
とにかく本腰を入れなくてはとても太刀打ちできないなという心境です。
社会事業の岡山事例と、ハンセン病を学ぶことがここ数年の課題ですから、ぼちぼち
取り組みます。
忘れているな、と思われたら叱責していただければ、またとぼとぼ歩き始めると思います。

とここまで書いて午後9時になり階下に降りて、
『ALWAYS 続・三丁目の夕陽』を観ました。
昭和30年代が映画のような時代であったかどうかは、よくわかりません(たぶん違うでしょう)。
しかし、人々が求めているものは明確です。
繋がりであり優しさであり、他人を思いやる心です。
このような美徳といっていいものは、今も決してなくなってはいません。

大和撫子(死語でしょうか)はいなくなったといわれますが、そんなこともないと
思っています。
特に高齢者と話す機会が多くなって、その思いは強くなりました。
若い人にも「大和撫子」は受け継がれています。
「大和撫子」とはなにかと問われれば、答えに窮しますが、人はそんなに変わるわけはありません。
少なくとも100年くらいでは変わらないと思います。

ですから、意図的に、復古を目指し過去を正当化する思想は現状認識も間違っています。
ただ、時代の表層を見れば、お先真っ暗の時代に生きているように思えます。
それでも、深いところでは、連続性や継続性があると思っています。
希望はあります。
少なくとも私は希望を持っています。

三丁目のノスタルジーは美しく、今は厳しい時代ですが、このような時代こそ、
心が磨かれると考えています。


※写真は岡山駅前の夕暮れ。

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