岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

3.11以降に考えたこと。

2011-04-27 19:21:01 | 東日本大震災



3月11日から48日が経ちました。

あらゆる意味で、この東日本大震災は今も全容が明らかになりません。
確かにこのような災害は経験したことはありません。
戸惑うばかりです。

明らかになったことも多くあります。
東京が東北に依存しているだけでなく、世界をも東北に依存していること。
世界は地域の隅々まで繋がっていること。
それは今まで知っていると思っていたことが、単なる思い込みだったことを知った時です。

防災について:
私たちは阪神淡路大震災の時まで言われた「関東大震災に耐えられると建造物」という表現が崩壊したことに
続き、三陸海岸の津波対策もあっけなく崩壊したこと。
専門家といわれた人々による「想定できなかった」のオンパレード。

災害を構造物で防ぐという考え方事態が致命的な過ちとなった。
10mの防潮堤が破られたなら15mの堤をつくろうという話には乗ってはならない。

今回の大災害で助かった人は、ほとんど高台に逃げている。
これは人々が歴史上、延々と繰り返してきたこと。
もっともシンプルな方法が人々を救った。

それを科学の力で「逃げなくても防げる」と思い込んだことが、逃げ遅れにつながった。
防潮堤の下で、ここなら絶対安全と思い、立ち話をしていた人々が一瞬にして流された。

もう破壊された町に住むことは諦めるしかないのではないだろうか。

原発について:
この大人災は今だに今後のシナリオさえ描けない。
行程表は単なる希望としか思えない。

世界の原子炉開発の未来はなくなった。
チェルノブイリのときに言われたソ連の技術的未熟さという逃げ口上ももう通用しない。
課題はいかに、原子炉を廃炉にしていくか。
どんどん耐用年数を過ぎる原子炉が増えてくるのだ。
溜まりに溜まった核廃棄物をどう処理するかだろう。

原発による電力製造コストもとても信じられるものではないことを知った。
今回のような故郷喪失による人々の暮らしの崩壊はなにごとにも変えられない。
この様な悲劇は、他の電力エネルギーでは起こり得ない。
原発のみ起こりうる被害でありコスト(表現は不適切)だ。

代替エネルギー開発は、電力会社や一部政治家、一部マスコミ、一部財界、一部専門家が主張するように
不可能なこととは思えない。

絶対安全な原発をつくるという困難度に比べれば、よっぽど実現可能と思う。

国策として原発開発を進めたそのコストを代替エネルギー開発につぎ込めばいい。

まず以上2点です。




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