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現代文明が過去の文明と同じく大天災を防ぎようがないことを思い知らされた。
このことは、危険や危機を身近なものにしておくこと、
すなわち、死をも身近にしておくことの意味を再認識させた。
それは「叶わぬことがあること」を、肝に銘じるとことである。
よく「夢を持て。叶わぬ夢はない」という言い方をする。
dream come true
しかし、そんなことはない。
みんなそれを知っているはずだ。
しかし認めたくはない。
現実は、人は儚い(はかない=むなしい【空しい・虚しい】)。
夢も儚い。
このことを目のあたりにしたのではないか。
目の前にあるにもかかわらず、無いように振る舞う。
振る舞うことで、無意識へ追いやる。
今回の災害は、無意識へと追いやっていたものを意識へと持ち上げた。
現場の悲劇は丁寧に隠ぺいされたが、目の当たりにした人々も多い。
例えば現場で不明者の捜索活動をしている自衛隊員は精神に過剰の負担をかけてしまった。
人々の心を平穏に保つために、彼らは犠牲を強いられた。
福島原発で作業をしている作業員も同様だ。
命の危険や恐怖にさいなまれての作業する精神は、世界からの称賛という遮蔽物に
おおわれて見えなくなっている。
私たちに代わって文字通り地獄を見た人をどのように受け止めるのか。
ふたたび、意識の外に追いやってしまうのか。
それとも、とことん、この地獄に付き合っていくのか。
そのことが問われている。