第2部は沢知恵さんのコンサートです。
沢さんの最近の活動は素晴らしく、岡山では生の情報に触れる機会も多く、こうしてブログで発信する意味があると考えています。
沢さんのコンサートは一期一会を徹底されています。
すべてのコンサートが1回限りです。リピートはありません。
それだけにコンサートに出かけていくときには、今回はどのように構成されるのかと楽しみだし自分なりに構成してみたりします。
今回の場合は、オンライン配信もされるということもあるのでしょう。舞台照明もとても考えられてました。
♪「アメージンググレース」から始まりました。
最近は聖歌、黒人霊歌から始めること事が多いですね。
♪「一本の鉛筆」 美空ひばりさんが唄いました。こちらに情報が書かれています。
沢さんはお客さんに質問をします。
沢知恵の名前を聞いてことがありますか。三択です!
会場からの拍手の結果、沢知恵の名前も初めて聞くという人もかなりいるということがわかりました。
「今日の方向性」がわかりました、と沢さん。
まず、お話は沢さんのファミリーヒストリーから始まりました。
お父さんが戦後日本人で初めて韓国を訪れたこと。
大学で会った女性に恋をしたこと。ほぼ一方的でした。
当時も日本人の印象は悪く悩まれたことでしょうが、その若い女性は求愛を受け入れ単身来日しました。
知恵さんが生まれる丁度1年前のことでした。
国境を越えたラブストーリーですね。
当時、国際結婚で生まれた子どもをアイノコといいましたが、沢さんはまさに「愛の子」なんだと。その通りです。
♪「盛岡スコーレ高校校歌」
日本語、韓国語、英語で歌われる珍しい校歌です。ライブでは初めて聴きました。
沢さんが育った国々のことばですね。沢さん作詞作曲です。
♪「こころ」沢さんがこの曲を歌うためにコンサートをしていると話されます。
沢さんの母方の祖父キム・ソウンが日本に紹介した詩に曲をつけました。
多くの歌手にカバーされている名曲です。
♪「私が一番きれいだったとき」茨木のり子の詩に沢さんが曲をつけました。
茨木のり子は「現代詩の長女」と言われる方ですが、50歳を越えて韓国語を学んでマスターしています。
沢さんはこの詩に曲をつけることの許可を得るために手紙を書きます。
手紙の最後にキム・ソウンの孫ですと書いたそうです。最初から書くことでないと思ってと。
素晴しい歌になりました。
続きます。
💛ウクライナに平和を💛