なかなか十次に密着できないのだが、明治という時代の
雰囲気を書くことが、十次という人物を語る上で重要と
思っていますのでご了解ください。
明治維新とともに日本開国が欧米諸国の人々が知ることと
なる。
特にキリスト教関係の人は、はるか250年前にキリスト教が
禁止され、日本各地で弾圧が繰り返されたこと、
中でも、長崎の26聖人殉教(ヨーロッパ人、インド人、
メキシコ人と日本人が殉教)の事件は、ただ . . . 本文を読む
日本救世軍の初代司令官、山室軍平(以下軍平)は
社会福祉史を学ぶ人々にはお馴染みである。
救世軍は今も活動を続けており、「救世軍」で検索すれば
ホームページをみることができる。
スマトラ沖大地震の救済事業もすすめてる。
その軍平は、同志社の神学生として、ミッション(伝道)
のために高梁教会へむかう途上、岡山に立ち寄り、十次に
会った。
その年は1889年(明治22)、十次が医学を捨てた年である。 . . . 本文を読む
孤児救済を文字通り天職と信じている十次に、
それを確信する出来事が起こった。
1891年(明治24)の濃尾大震災である。
死者7200人。阪神淡路大震災に匹敵する規模である。
十次が救済に奔走するのは当然ではあるが、他の
心ある人々も行動を起こす。
阪神淡路大震災がボランティア元年といわれるように
この濃尾大震災は、孤児救済元年といってよいかも
しれない。
これを契機として、児童福祉に取り組む . . . 本文を読む
甲種岡山県医学校に入学した十次は、代診に訪れていた
岡山市上阿知の診療所で、女性の遍路から男子を預かる。
育てることのできない子どもを親から引きとったのである。
その噂を聞いて、引き取りは瞬く間に3人になった。
その3人を連れて、岡山市門田屋敷の三友寺に寄宿し、
「孤児教育会」をつくった。
これが岡山孤児院の始まりである。
私の旅はまずこの三友寺を訪ねることからはじまった。
山門だけがかっての風 . . . 本文を読む
石井十次(以下十次)の足跡を歩こうと思ったのは、
テキスト(2月4日掲載)からの引用文です。
「無制限収容、小舎制などさまざまな試みをし、
今日にもつながる課題を提起している」
この今日的課題とは何か?
今から、ほぼ100年前、社会福祉という言葉も
なかった頃に今に繋がる試みとは何か?
ひとつふたつは想像できる。
1.小舎制は、グループホームの源
2.孤児の就職活動。現在のジョブコーチ制度の . . . 本文を読む
毎日新聞京都版には、毎週土曜日に
素敵なプレゼントがあります。
おにつかるみさんの連載読み物、
「さと子先生のホームルーム」です。
さと子先生と子どもたちの話には、
ハラハラドキドキもありますが、
暖ったい話がいっぱいです。
毎日新聞京都版の贅沢ですが、
全国の方も、ホームページで
読むことができます。
MY BOOKMARKの、
「るみのポエム」をクリックして
ください。そして、「今までの作品 . . . 本文を読む
旅から帰ってきました。
ご無沙汰しました。
受験が終り、少しリフレッシュしようと
石井十次の足跡を歩いてみました。
少しまとめて書きたいと考えています。
明治期に日本の社会福祉を拓いていった
多くの人々の中で、興味を持った人が
石井十次と留岡幸助です。
テキストでは簡単にしか扱っていません。
例えば、石井十次については、
「岡山孤児院の創設。濃尾大震災で孤児の
救済にあたった。無制限収容、小舎 . . . 本文を読む