岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

【日本へ】欧米の若者が向かう① 石井十次 その五

2005-02-10 17:17:49 | 石井十次
なかなか十次に密着できないのだが、明治という時代の 雰囲気を書くことが、十次という人物を語る上で重要と 思っていますのでご了解ください。 明治維新とともに日本開国が欧米諸国の人々が知ることと なる。 特にキリスト教関係の人は、はるか250年前にキリスト教が 禁止され、日本各地で弾圧が繰り返されたこと、 中でも、長崎の26聖人殉教(ヨーロッパ人、インド人、 メキシコ人と日本人が殉教)の事件は、ただ . . . 本文を読む

【山室軍平との出会い】石井十次 その四

2005-02-09 18:01:15 | 石井十次
日本救世軍の初代司令官、山室軍平(以下軍平)は 社会福祉史を学ぶ人々にはお馴染みである。 救世軍は今も活動を続けており、「救世軍」で検索すれば ホームページをみることができる。 スマトラ沖大地震の救済事業もすすめてる。 その軍平は、同志社の神学生として、ミッション(伝道) のために高梁教会へむかう途上、岡山に立ち寄り、十次に 会った。 その年は1889年(明治22)、十次が医学を捨てた年である。 . . . 本文を読む

【濃尾大震災】石井十次 その三

2005-02-08 20:04:07 | 石井十次
孤児救済を文字通り天職と信じている十次に、 それを確信する出来事が起こった。 1891年(明治24)の濃尾大震災である。 死者7200人。阪神淡路大震災に匹敵する規模である。 十次が救済に奔走するのは当然ではあるが、他の 心ある人々も行動を起こす。 阪神淡路大震災がボランティア元年といわれるように この濃尾大震災は、孤児救済元年といってよいかも しれない。 これを契機として、児童福祉に取り組む . . . 本文を読む

【孤児との出会い】石井十次 その二

2005-02-07 17:20:33 | 石井十次
甲種岡山県医学校に入学した十次は、代診に訪れていた 岡山市上阿知の診療所で、女性の遍路から男子を預かる。 育てることのできない子どもを親から引きとったのである。 その噂を聞いて、引き取りは瞬く間に3人になった。 その3人を連れて、岡山市門田屋敷の三友寺に寄宿し、 「孤児教育会」をつくった。 これが岡山孤児院の始まりである。 私の旅はまずこの三友寺を訪ねることからはじまった。 山門だけがかっての風 . . . 本文を読む

【社会福祉の曙】石井十次 その一

2005-02-06 10:30:57 | 石井十次
石井十次(以下十次)の足跡を歩こうと思ったのは、 テキスト(2月4日掲載)からの引用文です。 「無制限収容、小舎制などさまざまな試みをし、 今日にもつながる課題を提起している」 この今日的課題とは何か? 今から、ほぼ100年前、社会福祉という言葉も なかった頃に今に繋がる試みとは何か? ひとつふたつは想像できる。 1.小舎制は、グループホームの源 2.孤児の就職活動。現在のジョブコーチ制度の . . . 本文を読む

【推薦】るみのポエム

2005-02-05 18:54:35 | 日本の仲間
毎日新聞京都版には、毎週土曜日に 素敵なプレゼントがあります。 おにつかるみさんの連載読み物、 「さと子先生のホームルーム」です。 さと子先生と子どもたちの話には、 ハラハラドキドキもありますが、 暖ったい話がいっぱいです。 毎日新聞京都版の贅沢ですが、 全国の方も、ホームページで 読むことができます。 MY BOOKMARKの、 「るみのポエム」をクリックして ください。そして、「今までの作品 . . . 本文を読む

【立春】春遠く

2005-02-04 22:29:39 | 日本の仲間
旅から帰ってきました。 ご無沙汰しました。 受験が終り、少しリフレッシュしようと 石井十次の足跡を歩いてみました。 少しまとめて書きたいと考えています。 明治期に日本の社会福祉を拓いていった 多くの人々の中で、興味を持った人が 石井十次と留岡幸助です。 テキストでは簡単にしか扱っていません。 例えば、石井十次については、 「岡山孤児院の創設。濃尾大震災で孤児の 救済にあたった。無制限収容、小舎 . . . 本文を読む