北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

原則はどこにあるのだろうか

2007-06-06 23:02:48 | Weblog
 少し外が暑くなってきました。季節は確実に巡り、夏に近づいています。

 6月の定期人事異動に伴って、我が職場にも新しい人達がやってきました。今日は全員集まっての合同引き継ぎ式を行いました。

 健全な社会人ならば、たいていは仕事上発生する課題・問題は「自分がいる間に解決したい」と思うはずですが、それでも天の時、地の利、人の和に恵まれずに、自分の在任期間中に果たせないと言うことも往々にしてあるものです。

 運や巡り合わせというものがあって、仕事にも種をまく人、肥やしをまく人、草取りをする人、そして借り入れをする人がいるものです。

 困難な仕事が突然自分の在任期間中に降ってくるようなこともありますが、それは仕事の方が「この人なら解決してくれるに違いない」と考えるからで、そう思えば「よーし、良く来た。いま成仏させてやるからな!」とも思えるはず。

 引き継ぎで課題を背負った人達も、自分ができなかった課題を後任に託してきたわけで、文句はいえません。組織とはそういうものなのです。

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 社会保険庁の年金登録未入力問題で政府が揺れています。挙げ句の果てには、歴代の社会保険庁長官の名前をあげつらい、年金台帳を処分するよう指示を出した当時の社会保険庁長官の責任を問い、一方で「基礎年金番号導入時の厚相は菅直人民主党代表代行じゃないか」という反論ビラがまかれたりして一層の混乱をきたしています。

 責任は現職にある。この原則がどこかへふっとんでしまい、感情論が先立つ議論というのは実に見苦しいものです。選挙戦前の泥仕合にマスコミが加わって面白い番組を仕立てようとするという構図を、一歩引いた冷めた目で見るべきでしょう。

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 ちょうど、読んでいた本が「増補 ケインズとハイエク (間宮陽介著 ちくま学芸文庫)」でした。

 ハイエクとケインズは片や自由主義経済の旗手(ハイエク)であり、片や計画経済の提唱者(ケインズ)という風に、対立した思想家という風に捉えられがちです。

 しかし著者の間宮氏は、「両者とも第一次大戦後に変質した『(古典的な)自由主義』を、それぞれ違ったアプローチで守ろうとした」のだと捉えていて、なかなか読み応えのある自由主義論を教えてくれます。

 その中の一節に、法に関してこんな記述がありました。

「法の支配する社会は、言い換えれば、『原則』の支配する社会である。泥縄式の法令や場当たり的な政策は社会生活から確実性と安定性を奪ってしまうだろう」

「ハイエクが原則に固執し、自由主義を『原則の体系』とさえ呼ぶのは、原理原則の体系が他人の行動の予見可能性を高め、そのことによって人々の行動の自由度はかえって高まるからである」

「この『原則主義』に対して、個々の事例に介入し、個別の目的を達成しようとする『便宜主義』の政策は、目先の結果を求めてその長期的な帰結を無視する。短期的には自由を拡大するように見えて、長い目で見ればかえって自由を損なってしまう」

「それゆえ『自由の保護に成功するには原則主義的でなければならず、便宜主義には一切譲歩してはならない』とハイエクは頑強に主張するのである」(p132より)


 私達自身の中にも原則主義に乗っ取った議論の方法というものが身に付いていなくてはならない道理です。

 年金問題は解決されなくてはならないけれど、堂々たる原則論を展開して欲しいと、私は思います。むやみに感情論にならずにね。
コメント
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